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2018年03月28日05:46

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花見の二つの伝統。

「日本の伝統」という文脈で花見が語られます。

では、日本の伝統の花見はどのようなものだったのでしょうか。
『徒然草』をみてみましょう。

よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまも等閑(なおざり)なり。片田舎の人こそ、色こく万(よろづ)はもて興ずれ。花の本(ほん)には、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪にはおり立ちて跡つけなど、万(よろづ)の物、よそながら見ることもなし。(一三七段)

上品な人は、むやみに風流を愛好する様子にも見えず、楽しむ様子も淡泊である。片田舎の人こそ、しつこく、何ごとも騒ぎ立てる。花の根本に、ねじり寄り立ち寄って、わき目もふらず見つめて、酒を飲み連歌して、果ては、大きな枝を、心なく折り取る。泉には手足を浸して、雪にはおり立ちて足跡をつけるなど、何であれ、遠くから見るということがない。

とあります。
『徒然草』にこう書かれている以上、
「花の本(ほん)には、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さし浸して、雪にはおり立ちて跡つけなど、」
(花の根本には、ねじり寄り立ち寄って、わき目もふらず見詰めて、酒を飲み連歌して、果ては、大きな枝を、考えもなく折り取る。泉には手足を浸して、雪にはおり立ちて足跡をつけるなど)
をした人がいるということです。

話が脇に逸れますが、「よそながら見る」は、いいですね。
たとえば、美人が道を歩いているとして、彼女がいくら美人だからといって、見詰めたり近寄ったり、獣のような歓声を上げるのは失礼です。

そういう慎みを桜にも持つということです。桜の擬人化などという理に勝ったことではないでしょう。思わずそういう構えになること。
自然法爾とも、身心一如とも言えるでしょう。

そういう境地にならないと、「美しい日本人」ではありません。
このニュースで、中國人を批判している人は、ほとんどが、失格です。

つまり、花見には二つの伝統があるということです。
風流な人の伝統と、
下品な田舎者の伝統と。
(東京に代々住んでいても、「都会田舎者」というタイプの人間はいます。こういうことは、学歴や職業はもちろんのこと、出身地や門地などの背景とはあまり関係がありません。)

別に中国人が来なくても、ぼくは、名所の花見は、嫌いです。
大声で騒ぐ、アンプを持ち込んでカラオケをする人がいるからです。
これは、花見をする態度ではありません。
音は他の人の耳に入るものですから、端的に迷惑ですし、カラオケで歌われるような歌が、桜に相応しい道理はありません。

これが花見なら、
サントリーホールのクラッシック音楽の演奏会のときにも、同じことをやってほしい。それは、出来ないということなら、正しい花見の態度ではなく、花にかこつけて騒ぎたいだけ。

そもそも、場所取りという行為も止めるべきです。
先に来たというだけで、何で公共の場所にシートを敷くのか。人を雇う場所取りは論外ですが、桜の下に陣取り、桜を鑑賞したい他人を押しのけて、いい場所から動かないというのは、浅ましい限りです。人がやっているからといって、よくそんなことが出来るものです。

また、多くは根の上に坐っているようなものですから、木の健康に良くないでしょうね。

ところで、
桜は誰のものでしょう。少なくとも、ぼくのものではありません。
だから、規約で禁止されていない行為をするなら、打つ手はありません。

ですから、
人が来ないところ(都心にすら、あります。この間、友人と大塚と巣鴨の間の、人が来ない桜並木を散歩しました。)
を探して花見するか、
私有地で花見するしかありませんね。


中国人を避けるためではありません。

下品で田舎者の日本人を避けるために。



中国人観光客を締め出しても、「日本の花見文化」が守れない理由
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=diary&id=5044100
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