4・5月の連休に向けての足慣らし第2回で河川遡行をすることにした。
今回は日光川だ。
全長41キロで愛知県だけを流れる川としてはいちばん長い。
3月14日(水)
6時45分、名古屋駅の名鉄バスセンターからバスに乗る。
三重交通の路線バスで行き先はサンビーチ日光川だ。
1時間後、終点のサンビーチ日光川駐車場に着く。
ここは河口のすぐ近く。
500メートルほど海へ向かって歩いていく。
国道23号の日光川大橋の外が伊勢湾の河口になる。
川幅は1キロ以上もある。
立派な大河だ。
今日は朝から大量の花粉が飛んでいる。
ティッシュペーパーで鼻をかみながら日光川大橋を渡る。
橋の下は防潮堤になっている。
海の水が逆流しないように河口は殆ど締め切ってある。
わずかに開いた部分には水閘門がある。
水を締め切るゲートだ。
伊勢湾台風のときに作られたけど、老朽化が激しい。
新しい閘門が下流に作られていた。
橋を渡った先は飛島村だ。
日本一裕福な自治体として有名なところ。
アスファルトの堤防を歩いていく。
途中にいくつもの船が係留してある。
漁船でもないし、なんのためのものだろうか。
土手には土筆が生えている。
すっかり春なのだ。
飛島聖苑という火葬場で堤防を降りる。
国道302号を左岸へ渡る。
右岸のほうは支流が流れ込んでいて遠回りになりそうだから。
アスファルトだったり地道だったり、真っ直ぐな堤防を歩く。
すぐに合流点に来る。
善太川、福田川、宝川、蟹江川がほとんど同じところで日光川と合流している。
そこから上流は急に川幅が狭くなる。
1キロから100メートルくらいになる。
名古屋市港区から蟹江町に入る。
支流が流れ込んでいるところには排水機場がある。
このあたりはずっと海抜ゼロメートル地帯だから、水流の調節がたいへんだろう。
佐屋川の出合いに吉川英治の句碑があった。
蟹江町出身の友達がいて、このあたりの水郷が気に入って俳句をたくさん作ったそうだ。
たしかに句碑のそばには川をせき止めたような広い池がある。
昔は湖沼の多い水郷地帯だったのだろう。
県道66号を越えたあたりから堤防に金網の柵が建てられていた。
国道1号は日光大橋の架替えの工事をしていた。
またかなり大回りをさせられる。
近鉄名古屋線を越えると尾張温泉東海センターが見えてきた。
源泉かけ流しの愛知県随一の温泉だ。
入浴を楽しみにして建物に行った。
でも営業が午後1時からだった。
まだ時間は11時だ。
待っているわけにもいかず、無念な気持ちでいっぱい。
力が抜けた。
近くに喫茶店があったので休憩をする。
ゆっくりコーヒーを飲む。
観音寺橋を渡り、右岸に移る。
関西線の踏切を渡り、名阪自動車道を越える。
鹿伏兎橋を渡り左岸に戻る。
単調な堤防歩きだ。
しかし川沿いに真っすぐ伸びた道なので、どんどん確実に上流へ遡っている。
13時過ぎ、ピアゴ勝幡店に来た。
川沿いのスーパーマーケットだ。
大きな建物でフードコートもある。
昼食でハンバーガーセットを食べる。
自家製和牛の手作りハンバーグだった。
こういうお店は冷凍物を使っても売上はたいして変わらないだろうに、ムダに手が込んで美味しい。
またこんど勝幡に来ることがあったらここのハンバーガーを食べよう。
ピアゴではボックスティッシュとのど飴を買った。
今日の花粉は凶悪なのだ。
このあたりから両岸は堤防から掘割になる。
日光川はすでに住宅街の中を流れる普通の川だ。
勝幡城跡の石碑があった。
織田信長のお父さん、織田信秀が生まれたところだ。
織田信長もここで生まれたという説がある。
小さな草むらで、周りは普通の住宅が建っている地味な場所だった。
ここから稲沢市に入る。
大正橋で右岸に渡る。
下起火葬場跡の記念碑があった。
こんな川の横で死体を燃やしていたのか。
さらに掘割沿いの道を歩く。
狭い道路なので車が通らない。
花粉さえ飛んでなければ快適なハイキングだ。
川幅はすでに20メートル以下になった。
一宮市との境界に来た。
県道135号の山脇橋だ。
時間は16時を過ぎている。
河口から30キロは歩いた。
今回はここで終了とする。
300メートルほど歩くと名鉄尾西線の玉野駅がある。
一両編成のローカル列車に乗り、一宮駅で乗り換えて名古屋に帰った。
次回は玉野駅から上流へ遡り、江南市の水源までを歩く。
ログインしてコメントを確認・投稿する