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2018年03月16日08:37

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効き過ぎる薬

風邪薬というのは素晴らしいものだ。もしくは製薬会社の意図がここまでわかりやすくもたらされる己のカラダというのも不思議な気がする。鼻水止めに飲んだ風邪薬。日本の感覚では薬はなぜか病名の括り事にアトリビュ−ションされている(といっても外国のことはもちろんよくしらんが)。ゆえに本来花粉症の薬を飲むべきだろうが、それだけのために買うのも面倒なので、その辺にあった風邪薬を服用した。実際のところ効き目についてはあまり期待していなかったが、効きまくり。外出という、花粉症持ちにとっては自殺行為にも似た状態に1日さらされていたにもかかわらず、ほぼ症状はでず。なかなか良い1日だった。

とはいえ、体の状態、とくに花粉症のリアクションについてのみ良かったというだけ。別に遊んでいた訳でもないので、普通に仕事している程度のストレスはたまった。仕事は、それをすること自体だけでなく、その為に組成されている人間関係も面倒なのだが、同じ会社やら他社やら、コテコテに仕事関係の人々とガッツリ、ほぼ密室で(つまり車であちこち移動)接し続けた。仕事で無くともコミュニケーションが得意でない自分なので(すっかりオトナになってしまったあとこんなことを口走るのも恥ずかしい話だが、そこを気負うと辛いので)ナントカのムシロに座らされている感じ。皆が挙って同じ所に行き同じモノを見、同じものを食べる、ということにより消耗される感覚というのを久しぶりに味わった。

皆それに耐えながら、お給金をもらって、また、個々人が建設したわけでも無くソコにある道路を歩き駅やら電車やらを利用させてもらている。かならりドラスティックなバーター論を振りかざすまでもない。隣人、関係者とコミットするということは、義務。威張られては威張られたで、威張っては威張ったで、心しこりが残り、その場でまた後にひとりになって自責やら他人の振るまいやらに憤慨する。戦争、競争、金儲け「そんなにやならやめればいいのに」ということが世の中には多く、とはいえやめられない。そのルーチンを回すのにはもの凄く合理的にロジカルに高度な頭脳をつかうのに、根本的なディレクションやらについては「えっこれでいいの?」という視点が介在する余地もない。慣性の法則ということだろうか...。

鼻が垂れると恥ずかしい社会的しばりがなければ薬を飲む必要もないのだが、そのしばりを今さらひっくり返すことができないなら、そんなこと気にしないオレ様になるか、山にいって木こりとかになってひとりで暮らすことなのだろう。
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