私は、自分の受けた漢字教育の被害者です。
具体的には、
1 左にあるものが偏(へん)。右にあるものが旁(つくり)と教わった。
そこまでは、ギリギリOKとして…
偏や旁は意味を表すと習いました。
大間違いです。
たとえば、
「静」の「青」、「雅」の「「牙」、「猿」の「袁」、「江」の「工」など、発音を表すものが多くあります。
教育学部の修業年限で、全科目の正しい学問的な内容を身に付けるのは、考えてみれば、不可能です。
先生こそ犠牲者であるかもしれません。
2 間違った字体を教わり、しかも、後で変更された。
これを書くと歳がバレますが(笑)
「母」という字を、「毋」と書けと教わりました。つなげて書くということですが、「毋」は、「なかれ」という意味を持った、別の字です。
そのまま変更が続いてくれるならともかく、再変更され、元に戻されました。どんでもなく、無責任なことです。
だから、私の年配の教育学部に進んだ同級生は、漢字を現行の形に合わせるために、苦労していました。文部省の身勝手な変更と言えば、
3 筆順も変更された。
「飛」が代表例です。昔は、二つの横にあるものを書いてから、「イ」に似たもの、縦棒状のものを書きましたが、今は違います。
…こういう経緯を考えると、文部省などの役所に当事者能力がないのは、明らかです。
以下は、私が言いたいことです。
A そもそも、なぜ、文部省が近代になってから、教科書体を定めたかというと、よく知られたものだけで、一字当たり5〜10種類ある平仮名(いわゆる草仮名)を統一しようとしたからです。
しかし、現在の国益に合いません。
画像は、そば屋さんでよく見かける看板ですが、
「きそば」と詠みます。「生」は、漢字。二番目は、仮名で「楚」を崩したもの。三番目は、「者」を崩したもの。
しかも、この画像は面白いことに、間違っています。
右から左に書かれていない。濁点が打ってあるの二点です。
この看板は、「わかる人にはわかる」と、お客さんの優越感をくすぐりながら、助け舟を出しているいるのでしょうか。考えた人の心理を思うと、微笑ましいものがあります。
こんな調子では、軍隊の作戦指揮書や工場の就業規則は、読めません。
歩兵Aが、「露助の野郎、生意気だ。」と勝手に発砲したら、一大国際問題になりますから、文書による秩序の徹底が必要です。そのために、書体の統一や、漢字の制限、字画の簡略化をしたのですが、無理もありません。
しかし、
明治時代は、「富国強兵」の時代と言われますが、
当時は、
「富国」…よき軽工業労働者を育てる。
「強兵」…よき歩兵を育てる
ことでした。
現在は、
「富国」…理系の技術革新をする。
「強兵」…ミサイル迎撃システムなど、理系の開発をする。
ということです。もう、漢字は、意思の疎通ができればいい…という段階です。些細なことで×にするのは、国益にかないません。
B 教科書体は、歴史的根拠が乏しいです。
「木」ですが、私は、江戸時代の、影印本(古文書を写真撮影したもの)で、撥(は)ねていないもは、ほとんどみていません。
撥ねない「木」を書いた代表的人物は、王羲之ですが、王羲之の楷書を文部省が取り入れた。
そこまではいいとして、
現場の人間が、
小役人根性を出して、「木」を撥ねたら、お上に逆らう不忠者とばかり、鬼の首を取ったように×にする。
こういうところが、真相でしょう。
明治以降、日本の伝統と言われているものがありますが、
実は、中國由来だったり、根拠が乏しいものがあります。
このテーマに対する、最良の参考書は、国語学の本ではなく、
『失敗の本質』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E6%95%97%E3%81%AE%E6%9C%AC%E8%B3%AA
だと思います。
漢字「とめ・はね・はらい」で減点はおかしい? 文化庁「骨組みが同じなら誤っているとはみなされない」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=5025258
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