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2018年03月01日08:31

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鍾乳洞

人のフリ見て我がフリ直せというが、見て直るくらいならとっくに直っていることが多い。直らないことがどうしようもなると治らないになる、つまり病気になる。世の中が悪意に満ちているように感ぜられ孤独と自責にちょっとどうしようもないくらいやられてしまう。その「どうしようもない」という層に何度触れただろう。いくら触れても、まだ下があることに思い知らされ、また触れる頻度も増えていく。露天掘りのように下へ下へと掘り進む日々。そうやっているといつか鉱脈にでも行きあたるのだろうか。這い上がろうとしてもあまりに、底を這いずりまわりすぎている。もう太陽を見ない日というのをどれくらい過ごしおただろうか。

そういえば最近、近くの(といってもくるまで1時間ちょっと行ったところだが)鍾乳洞やらというのに行った。鍾乳洞というと平たくいうと石灰質の土壌に水が流れ込むことにより作られた空洞、洞窟。幼少のころ実家の近くに世界的に有名な鍾乳洞があり、よく親らに連れられいった。長じて、実家に帰ることも稀になり、足繁く通った鍾乳洞のことも忘れてしまったが、今だに何となく、気がつけば鍾乳洞に行っている。そしてその中にいると、ナゼか落ち着く。懐かしからか、というとそうでもないが、よく思い出してみると、そういえば、と最近思い出した、「子供の頃洞窟に住みたかった」。

おそらくそんな小さなころからコミュニケーション障害だったのだろう。きっと子供ながらになじめない世の中に(もちろん非は世の中ではなく自分の方にあった)ヘキレキして、ガキのクセに、世俗を離れて暮らしたい、とでも思っていたのか。子供の妄想というのは就学の義務やらメシはどうするやら、細かな事情などぶっ飛ばす飛距離が長い。なんとなく、朝も昼もなく、水滴のひたひたとした音がこだまする靜かな地中で寝ているように起き、起きるように寝る。今思うとそんな生活楽しいのかよ?なのだが、楽しい楽しいとかどうでもよいくらい、詰められていたのかも知れない。可哀想に。

最近小学校のころの担任の先生と交流がある。卒業以来、同総会みたいなので1回会ったくらいだったが、なぜか母親と仲が良くなぜかロシアやらトルコやらに連れ立って旅行しているらしい。昨夏応募したコンペにビキニ鑑賞に関する文章を出稿したのだが、先生にはいわゆる広島での被爆にかんする逸話がおありだということで、ドラフトを見て添削していただいた。添削いただいた原稿が手元に来たのがデッドラインの3日前ということで、誤脱字以外はほぼ参考にさせていただくことがなかったのだが、添削内容は原稿が赤く見えるくらい片っ端からダメだしされていた。否定しているというより、お願いをした手前、なにか指摘しなければ、と思われたのだろう。母親の話だと、添削をお願いしてからの1ヶ月、ほぼ毎日図書館に通われてていたという。ありがたい話だ。

ちなみに今日は3月1日。そのビキニ鑑賞記念の日。被爆した鮪船の母港である焼津港では3月といえばもう春なんだそうだ。

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