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2018年02月23日12:08

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日本神道の祓いとは?、各自の魂の過去世からの借金払いもあれば、祓いが持つ意味の恐ろしさ

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私は仏教徒でもありますが、神霊世界の見聞は【日本神道】の世界を中心に学ばさせてもらいました。その中で感じたことは、私達は【祓い】の言葉の意味を何か間違えていないかです。

私達が一般的に思う日本神道の【祓い】とは、神社に正式参拝すると、神主がおおぬさ(大麻)をくくりつけた串を持って「祓い給え清め給え」と振ります。その祓い程度しか頭に浮かびません。
そのおおぬさ(大麻)をつけた串が立ててある台座を含めて、「祓戸(ハラエド)」の神という言い方もされています。 日本神道では祓戸の神としては天津祝詞(大祓詞・中臣祓詞)にある【瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売】の四神を言う場合もあれば、「祓詞(はらへのことば)」の【伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等】として、筑紫の住吉龍神(表筒男命 (うわつつのおのみこと) ・中筒男命 (なかつつのおのみこと) ・底筒男命 (そこつつのおのみこと) の三柱神を言うもあります。通常、三柱神で【住吉】大神とされています。

私は全国の一宮を回っていて博多の一宮・住吉神社に参拝した時、その本殿内に龍神の姿を見て、祓いと龍神との関係を考えたことがあります。博多の住吉神社では豊受姫が出て来られたので、その龍神の姿を見せて貰えたのかも知れません。
私は霊能者と呼ばれるような霊能力者ではなくて、通常はほとんど霊を見ませんので、大阪の住吉大社や下関の住吉神社では何も見えませんでした。ただ、龍神が見えたのは博多だったので「筑紫」の言葉の意味を考えたに過ぎません。

私が豊受姫の命令でこの地に家を建てて神棚を設けたところ、その神棚に設けてもいないのに霊的な「おおぬさ(大麻)をつけた串が立ててある台座」が見えるのです。何とも面妖なことよと思っていました。
その後、自宅前の空家を買って取り壊して駐車が出来るようにしたところ、その空き地の中心にも以前に見たような霊的な「おおぬさ(大麻)をつけた串が立つ台座」が見えて来たのです。それは神棚で見た霊物よりも大きな霊的物でした。
私が住む場所は、大本教の出口王仁三郎聖師が綾部の大本教神苑内の金龍海は型で、本当の「金龍海」とされた沼跡の淵の一角に住んでいます。その地で龍神を見るか見ないかは、その人が持っている霊能力しだいと言えます。過去にこの地で金龍神を見た霊能者達は少なからず居られるからです。 龍神と祓いとが関係するならば、その地は「祓戸」の龍神の場とも言えます。

で、そんな簡単なことで自分の魂の汚れが祓い清められる???

私達の肉体に日常的に懸かって来る「ゴミ・チリ」的類いの霊であれば、神社参拝での祓い串でも祓えています。だが、全ての人は過去世を持ちます。その過去の人生において、自分がどれほどの悪業を犯して来たのかを誰も知らないのです。私も自分の過去世の罪を知りません。
一部の霊能者は、この地球は【魂の刑務所】で本当に浄化された魂はこの地球には降りて来ないと言います。大本教の出口王仁三郎聖師は、この地球は【天人の苗床】と言われましたが、意味に大差はありません。この世は魂の【修業場】です。

お釈迦様とかイエスや弘法大師さんや日蓮さん等は、汚れた魂の持ち主ではなくて、人々に教えをする為にこの世に降りて来られた貴き存在で、神の存在を言いながら過去に多くの罪を犯して来たシャーマンや巫女や元魔女の類いの魂ではないのです。

仏教ではこの世に出てこない為には【執着心】から離れなさいと説いて来ましたが、大多数の人は【執着心】に縛られているがあります。その執着心を【蛇の性(さが)】とも言い、聖書におけるアダムとイヴに囁いた蛇ともなります。人間と執着心(蛇の性)は切っても切れないほど、自分の心(魂)にまとわりついて来るものなのです。
私達の過去世の悪業は全て自己の魂に【カルマ】として存続しています。その魂の過去の悪業が神主の「祓い」で精算されるかと言いますと、ほとんど精算はされていないのです。

自分で【天津祝詞(大祓詞・中臣祓詞)】を読む方ならば、祝詞に書いてある意味は、ある意味とても怖ろしいことが書かれていることに気づく方もあるでしょうが、ほとんどの人はそれを意識して読んではおられないと思います。
もしも祝詞通りの内容が起きるとすれば、それはとんでもないことが起きていなければなりません。だが、【天津祝詞(大祓詞・中臣祓詞)】を唱えたからといって、誰もそんな怖ろしい事柄に遭遇した人など誰一人といないでしょう。

では、これは何かと言うと【世の大立替の時に起きる事象の予言】と言えるのです。


私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、日本神道の神話等は全てこの私の創作であると告げて来られました。
ですから、天津祝詞(大祓詞・中臣祓詞)には【天の岩戸を押しひらき】とまで書かれているのです。大本教でも、【本当の天の岩戸明け】は、未だ起きていないことを告げたはずです。どの霊能者も、未だ天の岩戸は開いていないというのもそこにあります。

そこで「天津祝詞」の前半を見ますと、
【国中(くぬち)に荒振(あらぶる)神等(かみども)をば、神問(かむとは)しに問(とは)したまひ。神掃(かむはらひ)に掃(はらひ)たまいて、語問(こととひ)し磐根樹(いはねき)立草之(たちくさの)垣葉(かきは)をも、語止(ことやめ)て】とあります。

それは荒振神等も掃(はらひ)に掃(はらひ)、あまりの凄まじい掃(はらひ)に、磐根樹や立草の垣葉まで言葉を喋るのを止めてしまった。それはどれほど怖ろしい状況を告げているかです。
いくら俺様は凄い神霊だと言っていても、そんな存在程度では掃(はらひ)されてしまいますよなのです。その時には、大掃除をされてしまうなのです。

私が初めて伏見稲荷山に上がった時、稲荷首座神の豊受姫は私に対して【貴方の言葉の教えは天帝の「詔」に等しきもの。貴方の言葉の教えが聞けぬ神は如何なる神と言えども天帝に罰せられる】と告げられましたが、ほとんどの方は私がしていることは【言葉遊び】程度としか受け取っておられないはずです。
それは一つに、私には神を見られた過去の宗教家の方や霊能力者の様な特別の霊力がないからです。神霊からの予言的な神示も受け取りませんし、病気治しも出来ません。
私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたにこの神の力を与えない。力を与えるのは最後の最後の時である。されど、そなたの背後にこの私があることが解らぬ神では使い物にならない】で、特段の霊力を与えられていないからです。

私は霊能者から、「あなたは邪悪の神に欺されているのだと」言われれば、そうなのかも知れないと言いますが、私が日本語をもって「言葉の仕組み」を解き明かして来たことは、世に理解されまいと世に出ておられる神々には出来なかったことなのです。それはどの神社に行っても、言葉を仕組めるだけの御神霊が存在しておられないからです。

天の神が告げる祓いとは、地上世界の【大掃除】の掃(はらい)なのです。

そして天津祝詞の後半に入りますと、もっと怖ろしいことが書いてあります。この状況に入れば身震いをするような光景なのです。そこまでしないと、誰も【悔い改めよう】とはしないからでしょう。

一部の霊能者達は世の立替に関して、重要なことは「過去世からの罪の帳消し」たる借金払いが起きる。為に、生きている内にどれだけ過去世の借金を清算するか。そうしたことを述べて来ておられます。だが、こうした方達が述べて来られた警告は、能天気な霊感女子達のスピリチュアルに消されて行きました。

単に神主から祝詞を上げて貰ったからと言って、普通の神主では自己の魂の過去世からの汚れを浄化して貰っているとは言えないのです。 しかし、祓詞の伊邪那岐大神の汚れさえも祓った祓戸大神等が【龍神】であるならば、話はかなり変わるなのです。 だが、現在のどの神社に行っても、魂の汚れを祓うだけの力を持った神霊は存在していないと思われます。

私はかって、こんな霊能者がいるのかと驚いた霊能者の方がおられました。当時はテレビに出ておられて、この方は【龍男】だと気づきました。今は亡くなっておられて、その方が造られたお宮と宗教はその息子さんが管長をされていますが、その息子さんの霊能力に関しては私も存じません。
ただ、今回の相撲騒動に関してテレビに出て来られる方の名前を拝見して、あの驚くほどの霊能者であった方の息子さんだと気づかされました。それで、またもや「龍神」を考えるとなりました。

世に【龍女】と呼ばれる女性達が居られることは解っています。私も龍女に関しては何人も出会っています。その背後には龍が存在しています。スピリチュアルの霊感女子とは明らかに一線を画しています。
その龍女の存在に関しては【法華経】に「龍女の解脱」があり、お釈迦様の弟子であった「舎利仏」ですら相手にはしていなかったことが書かれています。解脱した龍女が尊敬する存在と認めたのは、お釈迦様と文殊菩薩だけとなっています。
私は実に怖ろしい一人の龍女に出会いましたが、霊感女子のスピリチュアル程度では最後は乗り切れないと言います。差がありすぎなのです。

私は修業時代、蛇霊に悔い改めの言向けをしていました。悔い改めた蛇霊は現実界の蛇が棒の様に直立して天に帰って行く様を見せましたが、ほとんどの蛇霊は【悔い改めるぐらいならば死んでやる。最後の最後の前には暴れに暴れてやる】でした。聞く耳など持たないと一蹴して来るのです。
スピリチュアルの人達の大多数が悔い改めた蛇霊で蛇が棒の様に直立するを知らないのは、何をしても神の愛で赦されるのだと、【悔い改める】を説かないからでしょう。

スピリチュアルで、【問答無用】。【力の支配こそ正義】とする存在に対して「神は愛ですから」と金科玉条のごとく言っていても、彼等はその態度を変えるなどはほとんどないのです。何時までも彼等の反省を待つと、のほほんとしていればこの地球は崩壊してしまいます。天はそんなことを許さないでしょう。

最近、とある霊能力がある方からメールをいただきました。その方の背後は通常の龍神を上回る大白蛇霊で、その配下霊は数千体にのぼる白狐霊や蛇霊が従っていたそうですが、その方の背後霊団でとんでもないことが起き出しているとの情報です。
突然に聖書で説かれる様な騎士の集団(馬に乗る者の意)が現れて、帰順を示した大白蛇霊と白狐達は別として、悔い改めをしない蛇霊達をその騎士団が斬り殺しで成敗されているです。その方にすれば突然に聖書で説かれる最後の審判前に現れるとされる様な騎士団(馬に乗る者の意)が出て来たことに驚かれたのです。しかも、蛇霊を敵ともしない強さです。

聖書における天使長ミカエルとは、モーゼ外伝に蛇霊を成敗する存在とあるように、スピリチュアルで自分に天使長ミカエルが降りてきた等の存在ではないのです。蛇を返す【巳(蛇)かえる】が解らない天使長などニセ者の霊だからです。
ただ、この方の場合は背後に存在した蛇霊の規模がかなり大きかったので、そうした事態が起きたのかも知れませんが、数体や数十体の蛇霊が従っている程度のスピリチュアル段階の方には、未だそうした事態は起きてはいないと考えられます。


私の2016年7月1日のブログに下記の図を出しました。天の神の剣が蛇霊に突き刺さり、もしも動けば斬るぞと出た霊的映像からです。それから1年半ほど経過したのですが、いよいよ天の剣が動き出しているのかも知れません。
​なお、私は予言者ではなく、言葉を仕組んだ神の仕組みの解説者にしか過ぎません。為に、霊的映像を見せられても、それが何時起きるのかはまったく解らない身なのです。で、情報をいただいて、霊界で起き出したと解る程度なのです。

フォト


最後の審判前、【ニセ救世主】達が乱立するとされて来ました

1999年当時、幸福の科学の大川氏のように自分が救世主だと称する人達の乱立がありました。幸福の科学によれば、1999年は大川氏の力で食い止めたとの主張のようですが、またもやあらちこちらに自称救世主の乱立が起き出しています。かなりきな臭い状況が出て来ているのです。

私の元にも、誰々さんが救世主ですのでその元に参加してくださいのメールや、誰々さんが救世主なので是非に調べてみてください等のメールが来だしました。○○さんは東京直下型大地震を事前に止めたとか、△△さんは東日本大震災を事前に告げていた等が救世主たる証拠だと言われます。

誰が【救世主】役をされてもかまいませんが、果たして天の【祓い】を食い止めることが出来るのかです。 一部の方に出ている霊的事物は、霊的世界における祓いの大掃除なのでしょうが、もう神霊世界では起きて来ているのでしょう。ですから、変な犯罪が勃発して来ています。それまでは眠っていた悪も起こされて、悔い改めるのではなくて、最後の最後の前には暴れてやるです。
私は豊受姫から大立替は【嵐】だと聞かされましたが、その嵐の意味がよく解っていませんでした。


いくら自分は正しい道を歩んでいても、そうした者達が犯す犯罪に何時自分が被害者として巻き込まれないとは限りません。

それは、多くの人が思っている祓いではなく、掃(はらい)だからです。 江戸時代、悪しきことを犯した者は奉行所から「所払い」がありました。

この地球霊界からの【所払い】もあるでしょう

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