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2024年03月28日11:59

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人と霊との関係。人の行動を封印する神や霊、神や霊を封印する行者や霊能者。人の勢い強い時、神をもその場を退く。

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 霊的世界を見聞していると不思議なことが解って来ます。時々霊から【金縛り】を受けたと言う話があります。無論、そうした事柄は医学の分野からすると人が霊から金縛りに遭うなどはあり得ない。肉体における何等かの病気の表れとします。しかし幽体離脱を体験した方などは、初めての幽体離脱を体験する時にはそうした金縛り現象を体験したりします。

 そもそも医学ではいくら宗教界が霊や魂と呼ばれる存在を説いても、医学で魂と呼ばれる事物そのものが発見出来ないことから、霊に肉体を持った人間が縛られるなどあり得ないと見るわけです。そこにはレントゲン写真に魂や霊は写らないがあるからです。いくらCT検査やMRI検査をしてもレントゲン線では魂は写りません。


霊は【0(レイ)】界の物質で、この世の物質体では無い


 しかし霊学の分野では霊媒体質の人が写す写真には、その人の【霊媒質】を通じて霊を見ることがあるように、霊は写真には写ることからその存在を医学者の様に全面否定することは間違いとしているのです。そこに有るのは現代の医学では、霊の分野は解き明かせないなのです。

 私はある方からその方が写った写真に多くのオーブ玉が写り、その写真を判定した霊能者がその写真に伊弉冉尊が出ておられると判定されたことで、私にも調べて欲しいとの依頼が来ました。霊能者では無い私には無理なので豊受姫の御代をされている当時の師匠の元に写真を持ち込みますと、その写真には間違いなく伊弉冉尊が写っていると言われます。

 で、私が写真のどこにと聞き返して写真を見たところ、その写真の映像が写る少し前の映像が見えて来て、そこには一体の女神の姿が見えるのです。その写真そのものでは何も解らないのですが、その写真が写る前後に存在した時間を捉えた霊的写真には伊弉冉尊の姿が見えるなのです。その写真に写っている方の本守護神が伊弉冉尊に当たるだったのです。

 私はその一件で、一枚の写真でもその前後の時間の様が見えて来ると言う時間の残留を知ったなのです。よく言われることにこの世で起こしたことは、全てあの世では解っているとされますが、閻魔大王の【浄玻璃の鏡】とは現代の収録したビデオを再生させて見るような磁気的な記録のようなことなのです。


霊的世界の事物は霊媒質者が側に居ないと、写真に写らない


 下記の写真は写真機で撮っている人も写されている人も、どちらも強い霊媒体質者であったことから写った現象。

フォト


下記の写真は右側からは太陽光線が来ていますが、左上から鳥居に向けての金色の龍(流)光は霊媒体質者だから写った写真。霊界で見る光とは、この世の太陽光とは別物。霊自体が霊光を放っている。


フォト



人が霊界で見る【霊界の太陽】は、この世の太陽では無い



 日本では【不動明王】と呼ばれる仏に対する信仰が盛んで、その人に多少なりとも霊感が備わっていれば火炎を上げて出て来られる不動明王を霊的に見るということがあります。私が不思議に思ったのはその火炎を浴びているこちらは体中から汗が噴き出して来るのに、火炎を上げている不動明王は【熱く】ないのだろうか?。そうした疑問でした。

 そこに有るのは、霊は火の中でも根拠を持てる。火の中で存在が出来るです。


日本で信仰される不動明王は【金縛り】で知られる


 霊能者や行者と呼ばれる方達の中には、不動明王の【金縛り】として知られる【霊縛(霊を動けないように縛ってしまう)】印の術を使われる方達があります。稲荷神界だと【足止め】と呼ばれて動けなくするがあります。そうした霊縛(金縛り)術は不動明王のみならず、大本教から出された【天の数歌(あまのかずうた)】等の言霊や仏教の般若心経や日本神道の祓いの祝詞を使って【霊縛】するもあります。人が私達の目には見えない霊を縛る?。


災いを起こす霊を縛る時、祝詞や御経や印を使う


 私は修業時代、薬師如来像に宿った霊から私を霊的に縛る物質を巻き付けられて、この野郎。やる気か!。と般若心経の御経で対抗して、逆にその薬師如来像に宿った霊を二度と世に働けないように霊縛して、その仏像の中に閉じ込めたがあります。後で考えると大本教霊学の天の数歌を使った方が般若心経を唱えているよりも時間的には早かったと気づきましたが、その時は般若心経で徐々に対抗したがあります。その薬師如来像に宿った霊からの攻撃に対して、般若心経を唱えるです。

 般若心経は霊を救う御経として知られていますが、自分を攻撃する霊の防御にも使えます。霊媒体質者の場合、般若心経の御経を唱えると霊を助けることも出来ますが救いを求める霊の憑依にも晒されますので、御経を上げない方が好い場合もあるなのです。

 その時に私の霊体を縛る為に飛んできた物体は私の身に不思議な出来事があり、ある霊能者の元を訪れたところ、【貴方には不動明王様が就いておられる。どこのお不動様かは解らないが、滋賀県の大津の三井寺で10年に一度だけ近畿の三十六不動尊を一堂に集めての初めての御開帳が催されると聞かされてその会場に行ったところ、そこに鎮座していた7〜8体の青不動明王の像から得体が解らない物をビシビシと飛ばされて、私は思わず【この野郎。やる気か!。】となったことがあります。


 その話を当時伏見稲荷山の豊受姫の御代で私の最初の師匠になった方に話したところ、【そのお不動様達は貴方を攻撃されたのではなくて、貴方が持つ秘めた力を知りたくて、そうした物体を飛ばされたのです。貴方にはそれらはさほどの攻撃ではなかったはずです。】と告げられました。確かにその時に私に飛ばされて来た物体はさほどでもなかったので、その飛んできた事物がいったい何かを聞くところまで行かなかったがあります。

 行者の方々から私が豊受姫から何の【霊剣】も授かっていないと解ると、【どうして豊受姫は貴方に霊剣を授けなかったのか?。弟子に霊剣を授けるのは師匠の立場だ。霊剣を持たないで霊界など渡れない。】と言われましたが、豊受姫の御代をされていた方からは、【私の霊剣は私が豊受姫様から直接に頂いた印や神剣であり、貴方が携えるべき印や神剣は貴方の神から直接に授かったものでないといけない。】と告げられていました。

 だが私の背後の神霊は一向に出て来ようとはされない。そこで霊剣が無いので有れば【逃げるが勝ち】で、黒龍神の攻撃からは逃げ回っていたと言えます。


神剣を携えたところで、無数の敵に攻撃されたら数で勝てない


今の神霊界は数は力で数に頼るが、烏合の衆の状態にある


 以前は盛んに放映されたテレビの超常番組で、霊能者や行者が災いを起こしている霊が通る霊道を封じる。霊を縛る。そうした内容が放映されていましたが、その時、霊を縛る【霊界の物質】はどのような物なのか?。そうした説明が今日まで何も為されていないのです。

 ただ印を結んだり、真言や御経、祝詞等の言霊を使用することでそうしたことが出来るは解っているなのです。その結果の作用に関しては行者は知っているなのです。しかし宗教の世界は我が宗派の教えを信じれば天国で、異教徒は地獄界に落ちるで霊界の真相を知ろうとはしていないなのです。


真相は【深層】に秘められており、表面論では解らない


 霊的世界を見聞して来ますと、霊能者や行者が【長年に渡って封印されていた神仏霊を私が解き放しました。】や、反対に【自分が悪さをする神仏や龍を封印した。】等の話があります。それらは【霊道の封印】や【結界張り】と呼ばれる事柄です。特に有名なのは弘法大師による【結界張り】と言えます。私は龍道の存在から、本当の結界張りとは何かが解ったと言えます。

 私は自分が霊界見聞をして来た中で、そうした数々の話に出会って来たのですが、既存の宗教からはそうした事柄はほとんど語られていません。そこには宗教家として大成された存在と行者として生きた方の【霊界での道筋の違い】もあります。宗教は霊界の事物に関してかなり大雑把と言えます。


人が神仏や龍を封印した事実、神仏や霊が人を縛る事実


 私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていたのですが、その声は私に【この私の書は旧約聖書成れども旧約聖書は暗号書で鍵を持たないで読むと意味を間違える様に創ってある。私の教えは【この日本の諺や昔話】に秘めてある。】と告げられました。その日本の諺にの一つに【人の勢い強い時は、神をもその場を退く。】があります。


人の勢いが強い時、神もそれを制御出来ない


神は絶対だ!。その概念で神を見ると危ない


 それは大本教から【人は神の子。神の宮】が出されましたが、人は神の子としての要素を持つからです。イエス一人が神の子ではありません。大本教から【人は霊止(ひと)】と画期的な教えも出されました。


 この世では霊が肉体を持つ必要として、他の霊からの攻撃の防御の側面があります。私の霊界における騒動の中には、天狗からの攻撃や龍神からの攻撃がありました。そうした霊からの攻撃に、魂の防御として肉体を必要とするがあるのです。

 霊的世界ではその霊が持つ波動(その考え方を支配する意識)の違いにより、住む世界が別れて来ます。それは魂の世界では他の波動が違う存在の魂と一緒には住めないからです。霊的世界における天国や地獄はその人が信じる宗教云々では無く、その魂が持つ波動(意識)の違いによって天国や地獄が形成されるのであって、宗教宗派の教えそのものではないのです。


 いくらイエス一人を主の御子と信じるキリスト教徒でも、天国天人的な生き方の人と地獄的生き方の人とでは同じ世界に同居は出来ないのです。互いが持つ意識がまったく違うからです。イスラム教のシーア派とスンニ派とでは相容れないなのです。ですから戦争ばかりしているなのです。

 最近もロシアでイスラム教過激派ISKPによるテロ事件が発生して多くの方が犠牲になりましたが、彼らは異教徒を殺せば自分は天国に行けると間違った宗教指導者の教えに洗脳されて、自己の【良心】神を見失っているなのです。もし自分に良心神が在るので有れば、神は偉大なりと言って何の罪も無い人達をテロで虐殺する等出来ないからです。


 神と呼ばれる存在もその教えを説こうとするならば、その教えをする人たる肉体を持った身の存在が必要なのです。

 私が現在地に住むに当たってこの地に住めと命じられた豊受姫は、私に【そなたがしなければならない神業は、肉体を持たない私達神には出来ない。肉体を持ったそなたでないと出来ない神業。】と告げられました。

 それはその土地の浄霊に肉体を持った浄霊マシン的存在を必要としたからです。 肉体は霊の攻撃から自分の魂を守る働きがありますが、霊の汚れを洗う作用も持つのです。


神と呼ばれる存在も、この世では肉体を必要とする


神は人より上だが、人の中には高い神格の者も居る


 神や仏を封じたりする人は、その人の魂がその神や仏の霊格を上回っているがあります。神や仏が人の身を霊縛するには、その人の身の魂がその神や仏の霊格よりも低くなければならないがあります。

 その神仏の霊格よりも高い霊格の魂を持った存在を霊縛するなど不可能だからです。すなわち霊縛の存在からも、魂には【格】と呼ばれる次元界の違いがあることが見えて来るのです。


霊的世界では魂の霊格が重要で、魂の次元格を上げる


大本教のこの世は天人の苗床は、その次元格を上げる


キリスト教やイスラム教は【五六七】次元が解らない


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