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2018年02月06日07:46

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春がすみ

どうも最近人付き合いというのがままならない、というか最近ではないのだが。それでも人間丸くなり、自分の分際やらというのをある程度客観的に受け入れることができるようになり、任侠沙汰(冗談)になることというのはなくなったのだが、気持ち的なわだかまりをアウトプットできないぶん、内部留保してしまう。社会人的にそぐうスタイルかも知れないが精神衛生的に辛い日々。こんなんで冬が越せるのかとも思う。季節の春なら寒さも緩むだろうが、人生の季節なら、少なくとも体力的には冬の終わりは季節の果て。そんな薄ら伺い見えてしまう行く末も、さらに気持ちを萎えさせる。

立春も終わり、そのうち春節もやってくる。チャイニーズ正月というのは太陰暦に今プライしているだろうから、本当にその前後で春めいてくる。「いいぢゃんか季節が暖かくなるのだから」(気持ちもあがってくるよ)という慰めもあるだろうが、周りに大勢いるから寂しくない、ということではないように、個人が抱えた悩みの原因を状況に帰結できない分、辛い。とはいえ「春なんかこなければいい」などとは思わない。いろいろと複雑な心模様というのはあるが、気温の絶対的な緩みというのは嬉しい。草木が芽吹きヘンタイさんも小躍りする季節。

とはいえその季節のもっとも象徴的な景色といえる桜の開花までの間、切ない身体的出来事がある。花粉症。もう数十年煩っているだろうか。煩うという,,,水くさい言いまわしがそぐわないほど、人生にコミットメントしてしまった身体現象。己の体...だけでなく医療技術の進歩をも諦めてしまい、もはや医者にすらいかなくなった。最後に鼻炎で病院にいったのはいつなのか?思い出せない。10年くらい無い気がする。

そんな憂鬱な心持ちだが、面をあげると、既に春霞的な水蒸気の塊が白ばんだ空に浮かんでいる。おおむね雲はないのだが、なぜかそのいっかしょだけに忽然とたなびいている小さい雲の塊。それだけどうやって発生したのだろう。そこに横たわることになんの意味があるのだろう。自然現象とは不思議なものだ、それでもなんとなく、視界のなかではちゃんと落ち着いていたりする。自然現象というのは、どんな特異なものでもそれぞれ座りがよい。考えてみれば人間の体もすべてパーツがその現象の一部だとすると、まあそんなものなのかもしれない。なるようになり、それなりに座っている。

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