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2017年12月21日08:15

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クリスマスと冬至

調度コレを書いている朝の時間。ほぼ真北に向かうPCデスクの背後から東日が刺す。早朝の神様の悪意を感ずるくらいの目玉の表面に激しい痛みを伴うその日差し。モニターに反射し冬の乾燥した冷気のように加減がない。というか、それ以前に表示されているコンテンツやらを認識するというのは、いわんやおや。仕事になどならない。というか、その時間、まだ始業時間ではないので、書き系が多い仕事のアイドリングとして、この日記を書いたりしている。通常リーマンだと「マズ朝いちばんにはメールチェック」…なのだろうが、1日の初っぱなから受動的な作業というのも、なんか違う気がする。クリエイティブな仕事、そしてクリエイティブな一日にならない気がする。

が、今日はその東からの朝日が差し込まない。空は晴れているので天気のセイではないだろう。もしかしたら、究極に日の出が遅くなったから?そういえば最近出張つづきで、この時間ここに座っているのは久しぶり。年末挨拶やらなんやらで出ずっぱりだったので数週間ぶりかも知れない。知らん間に、さらに日中は短くなっていたらしい。その変化を愛でることができれば、冬の寒さも、日中の短さも愛でることができるのだろう。現にそういう風流人はいるが、そんな余裕は季節は循環するがだろう。二度と元通りにならないもの、も世の中にはある。おそらくそれを想起させる時期として、日が陰り、体温が奪われていくこの季節、そのさもしさを想起させる時期なのだろう。それを感じさせない年中行事をたくさんぶっ込んだというのは、もしやむかしの人々の知恵なのかも知れん。にしても、クリスマス、大晦日、お正月、ちょっと多すぎる。

お歳暮、年末挨拶、年始挨拶…。というかお歳暮と年末挨拶のドコが違うのか。そしてそこをデュアルにする必要があるのか。とはいうものの、そんなことを言っているとキリが無く、そしてそんな無駄があるからこそ、ギスギスしていない、というところだろうが、まあ、喪失系の慶弔行事で、やることが多く、救われるケースというもある。安定し長らく続いた江戸時代が10%の武士が、ひとりでやれる行政事務を10人くらいでいやり、のこり90%に働かせていた…というのがいい例。格差と無駄というのは世の中が安定するためマストなものなのかも知れない。

さらに時間が経ったが、今だPC画面の可視状態状態は良好。もしや、逆に日が長くなっているのでは。考えてみれば冬至というのは12月の終わり、と決めかかってた。多くの場合「今日は冬至です」というニュースやらを見聞きして、冬至の到来を認識しているのだが、見聞きする限りでダレも言っていないから、という理由だけでマダだと決めつけるのは正しくない。…と調べて観ると明日22日だった。ちなみに、冬至がいつかググって行き着いたサイトでこんな情報があった。ナゼクリスマスは12月25日か?という諸説。一般的で有力な説はその日に実際キリストが生まれたから、とされている。一方、降臨した日、実はよくわからないらしく、その年の冬至がたまたま24日だったから…という説もあるんだそうな。
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