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2017年12月20日07:58

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イラコ−

久しぶりに長距離ドライブした。本当に久しぶりなことをやるとまず「前回いつだったっけ?」と思い返す。が、久しぶりがゆえに、また加齢のため思い出せないことが多い。が、たとえば昨日。渥美半島の先っぽの伊羅胡岬なる場所に向かって海沿いの道を走っていると、そういえば、この景色いつか走ったわ−。などという思がよぎる。それは、本当にその場所であったかは別であり(多くは同じ場所でないことが多い)似たような時間、似たような感覚をいたく場所。ちなみに渥美半島は以前行ったことのある新潟の海岸線を思い出させた。

新潟という場所。西日本の生まれだからだろう「米がいっぱい捕れる」くらいだろうか、その昔はあまり具体的なイメージが湧かなかった。なにぶん関東より北東というのは北海道を除けば僻地、といわないまでも地理感の埒外。みちのく、という言い得て妙な表現があるのだが、一緒くたにまとめられた遠い場所。しかし、学生の頃、当時付き合っていたカワイイ女子とそのカワイらしい車で行くことがあった、また社会人になって暫く、仕事でほぼ毎週行く時期があった。

食べものの好き嫌いというのは、その人が初めて食したその食べもののクオリティーに寄るところが大きいらしい。つまり、最初に食べたピーマンが美味しければ100歳まで好きであり、不味ければ逆の結果になる。いわゆる幼少の食体験というのが重要だという話。人というのは合理的に生きているようで案外思いつきと思い込みで動いているらしい。日没暫く沿道に街灯もなく、対向車もいない、そしてそこに陸地があることがカツカツわかるくらいの遠すぎる対岸の風景でも思い浮かべてしまうくらい、新潟ドライブというのはよかったのだろう。

たまず当時一緒にドライブした彼女に電話をした。岬できびすを返し、太平洋沿いのひたすら真っ直ぐな道を走っている際、ふと思いついた。久しぶりの電話だったが気さくに話し、そして話てくれた。こんな間柄の人がいるは有りがたい話。どんな景色の中にいても想い起こす想い出があり、それを共有した相手との関係を継続していできていること。そんな場所があり、そんな人がいるかいないか。それによって人生というのもずいぶん違うんだろうなあ。
すくなくとも葬式に何人参列者何人?というのよりは大切な気がする。
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