mixiユーザー(id:614168)

2017年12月17日23:31

319 view

和装本を触ってラーメンを食べる

和装本の勉強をしてきた。
会員限定で秘密の場所で行われた。

地下鉄八事駅から、ある大学の講義室へ行く。

和装本というのは江戸時代までの装丁方法で作られた和書のこと。
ようするに昔の本だ。

見本でたくさんの和書を見せてもらった。
なかでも珍しいのが「奥の細道」の第二刷の増し刷り本。
ガラスケース越しじゃなくて直接触ることができた。

テレビの「なんでも鑑定団」では白い手袋をはめて骨董に触れている。
でもこれは間違いだそうだ。
手袋をしていると手触りが分からなくて、ものによっては評価ができない。
取扱いが雑になり、陶磁器などは落として毀損することがある。
きれいに洗った素手で扱うのが正しいそうだ。

ということで元禄版「おくのほそ道」を手にとって読む。
意外と小さくて薄くて軽い。
文章は短いし、和紙でできているからだ。
文字はわりとわかりやすい崩し字で書いてある。
芭蕉の筆跡をできるだけ再現するようにして版木を作ったそうだ。

「おくのほそ道」は当時としては珍しい枡形本という形式で出版された。
江戸時代の本は現在と同じような縦長長方形をしていた。
枡形本は正方形で、室町時代以前の古い形だ。
芭蕉の趣味を表しているということだ。

そのほか十返舎一九「東海道中膝栗毛」や為永春水「春色梅児誉美」、井原西鶴「日本永代蔵」あとよくわからない黄表紙、古い経典なども並べてあった。
せっかくだからすべてペタペタと触ってみる。

今回の目的はお触りクラブじゃなくて、和書の歴史を勉強するためにある。
先生がいろんな解説もしてくれた。
面白かったお話を少しだけ書く。

たとえば江戸時代の知識伝播ネットワークについて。
アマゾンのない時代だったけど、本は日本全国に流通していた。
かなりの田舎でも貸本屋が出張して、お百姓さんが農作業の合間に浮世草子などを読んでいたそうだ。
当時は音読が普通のことで、四書五経を朗読して勉強会のようなこともあちこちで行われていた。
もしかしたら今の日本人よりも知的レベルが高かったかもしれない。

明治になり西洋の製本技術が入ってきて、それまでの和装本は衰退する。
でもその内容は生き残っていく。
滑稽本は戯作文学から大衆小説へ。
人情本は硯友社から自然主義文学へ。

これらの研究は進んでいるけど、黄表紙のその後が明らかにされていない。
明治になってから黄表紙は明治合巻というものになった。
活版印刷の絵物語だ。
これがやがて漫画になり、戦後に手塚治虫が登場して現在のコミックになっていく。
その「やがて漫画になり」というところが、最近研究が始まったばかりだという。
書誌学というのは奥深いものだ。


今日の和装本を少し写真に撮った。
でもネットにアップしちゃダメだよ、と言われた。

だから代わりに大学の近くで食べたラーメン屋の特製ラーメンを載せておく。
さすが学生街だけあってボリューム満点だ。
でもこういうのを毎日食べていたら、すぐに生活習慣病になるだろうなあ。

フォト

12 18

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する