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2017年12月12日08:02

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カトウじゃないよ

世界中の冷蔵庫が開けっ放しになっているのではないか‥と訝るくらい、とにかく寒い。冬ってのはこんなに寒いものだったろうかと、寒の入り(プロパーな暦によるものでなく単に冬の始まりという意味で)には毎回思うのだが、今年はひとしおな気がする。実際客観的に表現される数値=気温を比較しても昨今は抜き差しならないらしい。加えて今秋は11月の際まで篤かった。たしか10月中旬くらいまでは扇風機をオンし、または蚊の羽音を聞きつつ寝ていた気がする。それにしても‥

そして日が短い。夕方せわしなく暗くなるのはまだしも、起きた時点でまだ辺りが漆黒というのは寂しい。闇はまだ夜なのに起きねばならない理不尽を含み、登る朝日とともに大地からとしゅつし足元から吸い上げる、早起きが持つ、生命そのものを啜るような躍動感というのがない。あるのは起こされている感。感受性が強い生き物であるヒトにとり、その環境に漂う光量というのは重要で、株価や経済や歴史さえ変えてしまうこともあるのだろう。あの日天気がよかったら革命は起きなかった。‥とか。

昨日韓国映画を観た。趣味が映画鑑賞で年間200本以上の観ているのだが、その目的が感性のポリッシングというより語学の鍛錬ということ、そして偉大な歴史小説かの遺言により、ここ十数年韓国語を学んでいるということで、まあ月に5本程度の同国映画を視聴している。実は昨日2本かため観したのだが、そのうち1本は済州島という韓半島南の端のさらに向こう(日本からするとこっちがわ)に浮かぶ島。つたないヒアリング力と眠気のにより実際のところ内容はよく理解していないのだが、なにしろ、故郷であるその島に自殺するためにやってきた男と、なんとなくその男につきまとう島の女子のストーリー。その中でその女子が敬愛するというローザルクセンブルグの著書とフレーズが出てきた。「自ら自由を求めたもののみがその足かせを感じることができる」。

そんなフレーズあったっけ?という具合で、ローザに関してはそれほど詳しいわけではない。学生のころドイツ語かなんかの授業で彼女の著述を読まされた記憶がある。全体主義とキャピタリズム、当時、時流に乗りイケイケどんどんだった2大潮流。そのどちらとも迎合せず、というよりそれらを含むあらゆる概念やらというを片っ端からストイックに否定したあの発想とその徹底した生き様。戦国や幕末やバブル期的に熱く世界がその熱量を持て余し、だれもが酔っ払うかうなされていた頃。逆に冷めているているかの如くクールに浮かれていた感もある。こんな寒い朝、そんな彼女にほだされるというのも悪くない気もする。

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