つーか、来て動くまでに遅すぎる。
いつもの事といえばいつもの事なのだが。
ただ、ぼやいてもどうにもならないので、フェイスにも書いたが、訓練を兼ねて書く。
こうして書いていると、不安と恐怖、動悸が止まらない。
少なくとも、現状が如何に不利か心と頭が理解しているのだろう。
正直「マズッタ!」としかいえない。
ただ幸運だったのは、方向性と立場、いや、可能性だろうか、その点は違えども、ある部分について共感できる漫画を読めた事か。
すべてが当てはまるものではないけれど、根底は同じである。
そして残念な事に、現状から察するに結果も同じだろう。
ただ、そこにドラマは無いだろうけれども。
私の方は。
その辺りの話はここに書くべき話ではない。
重要なのは、今何をして、何をなすべきなのである。
正直、理解はしている。
ただ、それでも怖かったのだろう。
こうして、舵をきりなおした、いや、きりなおしたから生まれる恐怖。
きりなおさなければ。生まれなかった恐怖。
どの道、作品を作る上では恐怖はつきまとう。
それ以上に、別のものすらつきまとう。
そうして時を過ぎしていることが、許容できない瞬間は多い。
年をとればなおさらだ。
余計な思考は、足元をぐらつかせ、安易な解決法を囁く。
この数年、その誘惑に転びそうになったのは一度や二度じゃない。
その度にそれを払拭するのは正直面倒ですらある。
そして、その行為に意義すら感じないのも現実ではある。
お気楽に極楽に過ごせば良かったのにとも悔いる事もある。
でも、同時に思う。
終らせる事は安易である。
が、ならば為せる事もある。
そう、ある種、満足はしていても、ある種、そこには至らない。
どこと問われれば、答える事はできない。
それは貴方の未来を今述べよと言われているようなものだからだ。
未来など誰が答えられるのだろう。
いや、答えたとおりになったとしても、充足できるとは限らない。
他人を欺くように、自らを欺いてるとは言えはしないのだから。
反面、人生はとても安易に幸せを得る事が出来る。
そういう人間を何人も見てきた。
でも、一部の例外的異分子はそれを許容しない。
たぶん、紆余曲折を経て異分子化してしまったのかもしれない。
考えれば、そうならない方法は幾らでもあったはずだ。
が、ポイントポイントでその方向を選び続けてきた。
正直、今書いていて鬱になるほどである。
実際、それ程、悲観的ではない。
笑えるだけ。
でも、はたから見ればそんなものだろう。
私の人生とは。
馬鹿、いや、大阪人的に言えばアホの方がふさわしい。
でも、選んだ以上、その方向で進むべきであり、戻るにはその為に捨てるべき物は大きくなりすぎた気がする。
それ以上に愛おしいのかもしれないし、ただ未練がましいのかもしれない。
どっちが正しいかは、しばらく棚上げするとして、当面の問題は処理しなければならない。
そしてその覚悟だけは必要なのだ。
加えて書くなら、数年来これまた放置されてきた問題もある。
多分間違いはない。
いずれにしても。
だから遅くても、問題が山積みでも処理するべきなのである。
間違いなく。
以上。
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