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2017年12月07日11:53

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自分のためだけの覚書79

憎悪表現も「自由」と言っている人達の多くは、本気で自由だと思っているのではない。

「あいつらだけ許されるわけないだろ。あいつらも取り締まるなら、俺らも取り締まられても文句はない」

「あいつらのヘイトスピーチは許されて、俺たちのヘイトスピーチは許されないのはおかしい」

「片手落ちな判断をしている限り、自由と言い続ける」

という意見のはずだ。

そもそも、品のない言葉で他人を貶める事は、ヘイトスピーチと言わなくても、問題である。
「憲政の神様」「議会政治の父」と言われる尾崎行雄の演説は、相手を貶める事これ以上の演説はなく、批判された人物たちの顔は赤くなったり青くなったり忙しい事この上ない演説であった。

それでいて、反論も出来ず、品がないとも呼ばれず、ヘイトスピーチとも言われずに、今に至っている。

反論を何とかしようとする時、相手が持ち出すのは、屁理屈を権威で固めたやり方である。

昨今の、どこの国とはあえて言わないが、ある国が日本に対する言説と行動が、あまりに品がなく、さらにこちらが礼節をもって対応すると、更に品性下劣に落ちて日本を辱めるに至り、さすがに堪忍袋の緒が切れ、「目には目を歯には歯を」で、対応してきたのが、この15年近くのネットの在り方であった。

箕子は紂王の暴政を、品よく諫め続け、聞き入れられなくなり、最後は狂人の行いをして批判した。「俺を馬鹿にするのか。しかしこれは、紂王よ、お前の姿なのだぞ」というわけである。本当に狂ってしまったのなら、それは何とも可哀そうな話である。

そして、私は日本が箕子であり、どこかの国が紂王だと言っているのである。

そして箕子たる日本は、狂った振る舞いをして諫める人と、狂わずに諫める人とが存在するのが、良いのである。

どこかの国も、本当は箕子たる人はいるのだろうし。

■憎悪表現も「自由」17%=人権擁護に関する世論調査−内閣府
(時事通信社 - 12月02日 18:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4886194
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