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2017年11月19日08:58

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佐賀県もまだまだ

来年の大河ドラマは「西郷どん(せごどん)」で、言わずと知れた幕末のヒーロー・西郷隆盛が主人公だ。
福岡に転勤すると、この大政奉還から150年が経過した今でも、
山口も含めて九州各地の駅では「維新の故郷」として観光展開してるが、
当時の面影を残すようなロマンチックなスポットは意外にも少ない。

維新を推進したのは薩長土肥。
薩摩は西郷どんの居た島津氏の薩摩国で現在の鹿児島県。
長州は吉田松陰に始まり木戸孝允ら明治政府の中枢を握った山口県。
土佐は坂本龍馬と山内容堂ら。
これだけは四国の国だが、どこから目指しても遠いったらありしゃしない。
そして「肥」は、現在の佐賀県などにあたる肥前国。
鍋島閑叟も居るが、幕末期の超ビッグネームは大隈重信と江藤新平だろうか。

この時、気付いたがいわゆる旧国名で県を指す時、
九州7県で唯一説明に困るのが長崎県である。

福岡県 → 筑前国 及び豊前国
佐賀県 → 肥前国
熊本県 → 肥後国
大分県 → 豊後国
宮崎県 → 日向国
鹿児島県 → 薩摩国、大隅国

こんな感じである程度西海道の説明は出来るのだが、長崎県は忘れがちになる。

長崎県 → 肥前国の一部、壱岐国、対馬国

これが正解であるが、なかなか出ないのだ。
仮にも今日、長崎出身の部下に問うたところ、「ウッ」と詰まったので間違いない。
肥前国 → 佐賀県だけでなく長崎県も、と記憶しない限り抜け落ちてしまうのだ。
肥前国が思いのほか広いのと、西海道で分ける旧国名よりも
かなり細かく行政区分として分割された「藩」での区分ですっかり
佐賀と長崎の間に違いが生じたようである。

しかし、先日仕事で佐賀県唐津市に赴いたのだが
山の方にある佐賀市や鳥栖市と比べると全く違う趣である。
何しろ、福岡の都心から走る地下鉄に乗って、その乗り入れ線から
辿り着くわけであるから、
鹿児島に向かう路線で辿り着く鳥栖とは全く方向が違う

こんな具合であるから
まだまだ、僕は九州が分かっていないようである。
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