10月29日日曜日は、弥彦(ヤヒコ)山から下りた後、東京へ帰る親友のバカネコ氏と弥彦(イヤヒコ)神社〔延喜式名神大社〕〔越後国一ノ宮〕〔国幣中社〕拝殿前で分かれ、神社東参道の方へ進みました。
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東参道沿いには鶏舎があります。ここでは昭和33(1958)年以来天然記念物指定の日本鶏を境内に展示しており、彌彦神社日本鶏の会により保護・育成されています。天然記念物指定の日本鶏各種が纏めて展示されている施設は全国的にも稀有な存在です。弥彦神社日本鶏の会主催の品評会も毎年開催されています。
小国(ショウコク)〔天然記念物〕です。平安時代に唐から渡来したと推定されています。
矮鶏(チャボ)〔天然記念物〕です。インドシナ半島南部にあったパーンドゥランガ朝占城(チャンパ)王国(1485〜1832)の鶏品種が16〜17世紀に南蛮貿易・朱印船貿易によって日本へ齎され、改良・作出された品種で、占城王国を樹立した民族名の「チャム」か、国名の「チャンパ」が訛った名となっています。他の品種に比べて小型であり、足が短くて尾羽が直立している事が外見上の特徴です。
鶉尾(ウズラオ)〔天然記念物〕です。高知県原産で、鶉矮鶏(ウズラチャボ)とも呼ばれますが、矮鶏とは別系統の品種です。尾羽が無く、鶉の様な体形をしているのが名の由来です。垂直に飛び上がる習性があります。
東天紅(トウテンコウ)〔天然記念物〕です。高知県原産で尾羽が長く、高く澄んだ声で鳴く長鳴き鶏としても有名で、日本三大長鳴鶏の一つとして知られます。
軍鶏(シャモ)〔天然記念物〕の一種である小軍鶏(コシャモ)です。軍鶏は17世紀初頭に朱印船貿易によってアユタヤ朝シャム王国から齎された闘鶏用の品種で、「シャム」が訛って「シャモ」になりました。小軍鶏は土佐国で改良された品種です。
越後南京(エチゴナンキン)です。軍鶏〔天然記念物〕と越後国の地鶏の交雑種ですが軍鶏の一品種と見做されています。
河内奴(カワチヤッコ)〔天然記念物〕です。河内と称していますが、伊勢国原産です。小地鶏(コイヂドリ)と小軍鶏(コシャモ)を交雑させて作られました。鶏冠(トサカ)は三枚冠(サンマイカン)ですが、真ん中の1枚は直立して、その両方に小さな鶏冠が付く独特の形状をしています。
比内鶏(ヒナイドリ)〔天然記念物〕です。江戸時代に出羽国久保田(秋田)藩領北部の比内川流域の地鶏に軍鶏を交配して生まれました。
金八(キンパ)〔秋田県指定天然記念物〕です。出羽国原産で、19世紀前半に久保田(秋田)藩佐竹西家が統治する大館(オオダテ)城下の魚屋の金八が、比内鶏(ヒナイドリ)と軍鶏(シャモ)を交配した際に突然変種として生じたとされるます。気の短い品種のため、大館地方の方言で「短気」の人を「きんぱ」と言う事から金八鶏と書いて「きんぱどり」と呼ぶようになりました。
蜀鶏(トオマル)〔天然記念物〕です。江戸時代初期にオランダもしくは明(ミン)から日本に齎された大型の鶏に、越後国に於いて地鶏・軍鶏・小国等を交配して作出されました。東天紅・声良(コエヨシ)と共に日本三大長鳴鶏の一つとして知られます。
烏骨鶏(ウコッケイ)〔天然記念物〕です。紀元前から中国大陸に存在した特異な品種で、皮膚・内臓・骨に到るまで黒く、更に足指が普通の鶏と同じ前向き三本に加え、後ろ向きの指が普通のニワトリの一本に対し2〜3本あり、計5〜6本ある特殊な形状をしています。鳥類の指の数は四本であり、五本以上あるの本種のみです。特異な外見的特徴から中国歴代王朝で霊鳥として扱われ、不老不死の食材と呼ばれて来ました。
地頭鶏(ヂドッコ)〔天然記念物〕です。大隅国霧島山麓と日向国が原産で、非常に美味であるため、生産農家から島津荘地頭職(ヂトウシキ)、即ち薩摩・大隅守護の島津家に献上される習慣があった事が名の由来です。
土佐の尾長鶏(オナガドリ)〔特別天然記念物〕です。明暦年間(1655〜57)に土佐藩領長岡郡大篠村の武市利右衛門が地鶏と雉(キジ)や山鳥を交配して作ったとされています。
薩摩鶏(サツマドリ)〔天然記念物〕です。薩摩藩に於いて、マレー系と尾長系を交配して作られた闘鶏用品種です。
芝地鶏(シバヂドリ)〔三条市指定天然記念物〕です。江戸時代に北前船で山陰地方から齎された地鶏が越後国で改良されました。
こちらは鹿舎です。
社叢では既に伊呂波紅葉(イロハモミジ)が色付いていました。
弥彦神社神域東側を南北に走る旧北国街道沿いにある弥彦参道スギ並木〔新潟県指定天然記念物〕です。一帯は佐渡弥彦米山国定公園エリアです。
北国街道は古代の北陸道で、弥彦村は宿駅としての役目を果たして来ました。弥彦神社東側の南北約350mは参道として神社が杉を植えて厳重な管理を続けたため、見事な杉並木が形成されました。
江戸時代後期に良寛(1758〜1831)が詠んだ歌です。
「よろづ代に 仕へまつらむ 伊夜彦(イヤヒコ)の 杉の下道 い往きかへらひ」
昭和時代には県道2号線となった旧街道の車の通行量が激増したため、排気ガスの影響で樹勢が衰えていましたが、現在は東方に建設されたバイパスが県道2号線となって通行量が減ったため、樹勢は回復傾向にあります。
《続く》
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