ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のように、日本における明治時代からの急速な資本主義化と高度成長、それに続く現在のブラック企業や過労死の問題は江戸時代の思想からつながっていると思う。
仏教がいちばんすごかったのは奈良時代だ。
頭の良い人だけが難解な理論を勉強するというものだった。
やがて平安時代の最澄空海を経て鎌倉仏教になる。
だんだん普通の人でも簡単にわかる単純なものになっていく。
念仏や題目を唱えていれば救われる、ということになった。
一遍上人などは、信心の心がなくても「南無阿弥陀仏」だけ言ってれば良いんだよーなのだ。
冷静に考えるとメチャクチャな教えだ。
けれど江戸時代になると、もっといいかげんになる。
それが鈴木正三だ。
読み方は(すずきしょうぞう)じゃなくて(すずきしょうさん)らしい。
彼によれば、一般庶民は修行も念仏も必要がない。
毎日の自分の仕事を真摯にこなし生活することが仏教の信仰を実践することになる。
宗教的な行為は何もしなくていい。
楽なことだ。
毎週日曜日は教会へ行けとか、毎日5回お祈りをしろとか面倒なのを信じている人には羨ましいだろう。
こういう考え方が江戸時代の主流になったから、日本人は仕事を一生懸命するようになった。
また無宗教っぽく見えるけど超自然なものを信じていることとも関係があるのだろう。
まあとにかく、鈴木正三は江戸時代を代表する仏教思想家だ。
いまでも中央公論社から著作集が出ている。
鈴木正三は愛知県の足助で生まれた。
生誕地に記念館があるので行ってみた。
11月11日(土)
豊田市の鞍ヶ池から奥へ進む。
則定という集落の細い道に記念館があった。
どうも古い公民館を再利用しているような感じだった。
畳一間にパネル展示があるだけ。
遺品や書画などを期待したけど何もなかった。
「正三みちロマンコース」というハイキングルートのようなのがあるから歩くことにした。
まずは舗装道路を登っていく。
心月院に着いた。
鈴木一族の菩提寺だったところ。
移築したり縮小したりして小さな本堂があるだけだ。
無人の建物に入ると鈴木正三の木像があった。
また記念館に戻り坂道を登っていく。
正三記念公園に来た。
丘の中腹にある狭い広場だった。
樹木が茂って陰気な感じがする。
公園といっても、こんなところで遊ぶ人はいないと思う。
鈴木正三と弟の重成の銅像があった。
公園から奥は登山道のようになっていた。
これは楽しい!
と調子よく登っていったら城跡についた。
鈴木一族のお城があったところだ。
椎城という名前だが詳しいことは分かっていないらしい。
土塁の跡などが残っていた。
城跡のあたりから反対側に降りる。
山中という集落に出た。
恩真寺まで1キロほど歩いて行く。
鈴木正三の修行した岩が見える。
本堂の裏には正三のお墓があった。
さらに奥へ行くと小さな湿地帯があった。
それなりに有名なところらしい。
山中から舗装道路沿いに歩いていくと記念館のところに戻った。
スマホのGPSで歩行距離を計っていたら8キロも歩いたことになる。
ちょうどよい運動になった。
ところで、鈴木正三は「破切支丹」というのを書いている。
キリスト教がいかにダメな宗教か論破した本だ。
正三は島原の乱のあと天草へ赴き、仏教を復興させるべく努力した。
その一環として書かれたものだ。
また弟の重成は天草の代官として赴任して、年貢を半減するなど復興に努力した。
鈴木兄弟により、天草からはキリシタンが一掃された。
長崎県と違って熊本県天草ではキリスト教徒が絶滅した。
いまでは地元の人は正三たちを尊敬して鈴木神社を建立し「鈴木さま」と呼ばれているそうだ。
こんど機会があったら天草へ行って「鈴木さま」を訪ねてみたい。
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