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2017年11月06日23:25

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いのちの瞬間

写真を撮ることは、あんまり好きじゃない。
連続する世界から一瞬を切り出す行為を、記憶を記録にしてしまうように感じたのがその理由だ。
当然、記録は記憶を呼び起こすための呼び水でもあるのだけれど、
粛々と続く今と言う時間をぶつ切りにしてまで、それはするべきことなのかな、と、

先日、美少女プラモ≒ドールを組み立てた訳だが、
模型と言う趣味は、組み立てた後にもいろいろな楽しみ方があると思う。
素組したものから、更に手を加えてより美しい造形を目指すのもそうだし、
ドールであれば洋服などを揃えたりして、より愛着と言うか、ドールとの物語を深めるのもそうだ。
可動フィギュアであれば、ポーズをとらせて写真を撮るのもいいだろうし、
その究極として、ストップモーションを撮る狂人もいたりする。

洋服については自分も目論見があり、
ダイソーで全長15cmサイズの服を買ってきてあるので、
時間を見つけてそれをベースにして手直しをしたいかなと考えていたりする。
幸い、裁縫は割と嫌いじゃない。
中学生の卒業アルバムは、表紙をクロスステッチの刺繍で作る習わしがあったのだが、
高校受験を控える秋の終わりまでに、実にアルバム裏表背表紙含めた3/4を
刺繍で埋め尽くしたのも割と良い記憶。
学年全体から見ても割と頭のおかしい量だったけど、
姉の時は全面埋めていたので問題なし。

閑話休題。

ゆくゆくは型紙とかも始めるとしても、
その前にまず、写真を撮ってみることから始めてみた。
折角動くのだからとポージングを色々とらせ、その都度その都度可愛い訳だが、
当然ながら、一つのポーズをとったら、次のポーズをさせるためにはそのポーズを崩さねばならない。
折角可愛いのに勿体ないことこの上ないので、写真を撮ることにしたのだ。

その時点で気づいていて、
どうして嫌いな写真を撮るのにこんなに抵抗感がないのかな、と。
撮った写真を眺めていると、その答えは割と簡単に出てた。
現実を写真で撮ることは流れる時間から一瞬を切り抜き、
前後の時間から隔離させた記録を写し出す。
一方、元々時間の止まったドールを撮った写真は
そもそも動いていない前後の時間からドールを切り離すことで、
むしろ、被写体であるドールに前後の時間があるかのような
(ドールが生きる時間の一瞬を切り取ったような)、
そんな気持ちにさせてくれる、何かだったのだ。

世界の一瞬を殺し、標本にするように感じていた写真が、
逆に、いのちの無いはずのものから生を感じるような絵を見せる。
不思議な気持ちだ。


買っててよかったipad。
下手なコンデジよりも、カメラの性能良いらしいからね。
ばしばし写真撮るぞー。
一日1ポーズは撮りたい気持ち。
そしてゆくゆくは、1〜2秒程度でストップモーション取りたい気持ち。
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