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2017年10月28日00:54

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自分のためだけの覚書65

よく
「神様がいるなら、なんで不幸があるんだよ」
というセリフがあって、神様や宗教を否定、批判する言説があるが、私はこの言説は間違っていると考える。

なぜなら、まず、この言葉を発している人が想定している「神」と、実際に存在するかもしれない「神」とは、果たして「同じ存在」なのだろうか。

自分で勝手に「神」とはこういう存在で、こういうことができて、こう考えて、そしてこの場合にはこうするはずだ、と決めつけていないだろうか。

「誰かがそう言っていた」
「昔から言い伝えがある」

というかもしれない。でも、それはあなたが想定している神と、実際に存在するかもしれない神が、同じように存在し、行動し、考えるという証拠にはならない。

結局、「神様がいるなら、なんで不幸があるんだよ」とか「神はいない」という言葉は、「自分にとって都合のいいことなんて、そうそうおこりゃしない」という事以上のことを言ってはいないのである。

むしろ、本人は「かっこいいこと言った」と考えているかもしれないが、私からすれば、「ああ、この人は「神」という、自分が手出しできない存在は、すべて自分に都合のいいように動いてくれるものだと考えている未熟者なんだな」と考える。

それに、仮に神様が私たちの不幸を全部取っ払ってくれる存在ならば、私たちは人間ではなくなる。神の奴隷になるではないか。

私たちの不幸を全部取っ払うために、お前はこれをやれ、お前はこうしろ、これ以上のことをしてはいけないし、勝手に変わったり、変えてはいけない。自由に動いたら私が不幸をお前に与えるから動くんじゃない。

みたいなことを神様が言い出したら、果たしてこれを受け入れるのか。受け入れることはないだろう。

「俺は自由で幸せで何一つ不平不満を抱くことなく、好き勝手出来てしかも怒られず責められず、不安に思うこともなく、生産しないでも勝手に物が生まれるようになってほしい」というパラダイスを、すべての存在に与えない限り、神様がいるとは認めないという人は、0か1かの世界に生きているような人であろう。
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