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2017年10月15日23:06

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熊の射殺を批判する人を批判する人たちへの疑問

かつて、熊の射殺への批判は、自然破壊の象徴としてとらえられた。

なぜなら、バブル期以前より進んでいた、ゴルフ場に代表されるレジャー施設の開発。
または、箱物行政と言われる、「必要でないのに、予算をもらう、または使い切るために、とりあえず作っておく」という、民間であれば「お前は何を言っているんだ」と言われる内容で作られたインフラにより、自然破壊が進んでいたからである。

そのため、熊の生存権が脅かされ、人里に下りてくるようになった。山に追い返すだけならまだしも、射殺するようになった。

さらにさらに、ゴルフ場や箱物が機能すればいいが、バブル崩壊があったとはいえ、まったく役に立たない、赤字を垂れ流し、不良債権そのものと化した。

ゴルフ場跡地が、熊の食べ物を生産する森に変わるのには、数十年かかる。植林しても、それは建築に適した木であり、熊の食料を生み出す、どんぐりなどの木ではない。スギ花粉に悩まされる人が増えるだけである。だからと言ってどんぐりを植えたら、後始末を任された林業家の人たちは倒産していまう。国の予算は、箱物を作った時と比較したら、雀の涙程度しか下りない。
これでどうやって、熊の生存権を復活させることができるというのか。

自然を破壊し、税金を無駄に使い、その上発生した熊の被害は、まったく金が落ちなかった、地方自治体に丸投げする。こんな阿呆な話があるか!

そういう怒りがある。熊の射殺は、日本の里山を壊し、懐かしい田舎を壊し、自然を壊してきた象徴と言えるのだ。

シーシェパードならともかく、山の自然を守ろう、森の自然を守ろうという日本の団体で、環境ゴロ、環境テロリストとなっている団体を、私は知らない。

それなのに、mixiの日記では、抗議する人を十把一絡げに断罪する日記のみ。

彼らは、日本の自然破壊と、熊との付き合い方について、この30〜20年前の話を、知ったうえで、断罪しているのだろうか。

もし知らずに、射殺を批判する人を批判しているのなら、それはおそらく、シーシェパードに代表される、環境ゴロ、環境マフィア、環境テロリストと呼ぶのが相応しい人々による、悪影響というものだろう。

「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」
とはニーチェの言葉だが、環境テロリストと闘っている結果、私たちも環境テロリストと同じような思考になっていないか。

熊の射殺を批判する人を批判する人たちの日記を見ていると、どうしても私は、彼らも環境テロリストと同じように思えてしまうのである。


私たちが考えるべきは、人間と自然、山と人間の生活のすみわけであろう。谷村市議の言う通り、今の私たちの生活方法では、「出くわすのは、人にとってもクマにとっても悲劇につながりかねない」のだから。

で、具体的な方法論についてだが、地方自治体が山林の手入れを行う事ができるようにすることだろう。これに必要な予算は、やはり国だろう。お金になることではないのだから、赤字になっても何とかなるのは、国以外にない。

自然林であっても、木の実を作る木でなければ、熊は生きられない。ならばいっその事、木の実を作る木を植林し、そこで熊などの野生動物が、腹いっぱいになるだけの山や森を作り上げてしまうというのはどうだろうか。

そして、私たちもこれらの政策に、税金を納めることを拒んではならない。金がないとどうしようもないのだから。

この記事を見て急に考えたことで、具体的な策は今思い浮かばない。詳しい人がいれば、ぜひコメントでご教授いただき、私という愚物を救っていただけると、これに勝る喜びはない。

■【今週の注目記事】「小学校庭で侵入グマ射殺」がなぜ非難される…児童の安全優先「やむを得ない判断」に“第3者”から抗議の声
(産経新聞 - 10月15日 18:07)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=4813833
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