mixiユーザー(id:25657812)

2017年10月03日12:06

315 view

自分のためだけの覚書59

知恵を知識に変え、誰でも使えるようにするのが、産業革命以来の発展の形であった。

変えるのにはエネルギーが必要で、初期と現在を比較すれば、現代の方がエネルギーを多く必要とする。何せ、これまでの積み重ねたるや膨大なものであり、積み重ねたものを理解し、咀嚼し、身につけるだけで一生の仕事になるほどである。

何故なら、科学や化学や数学、文学でも歴史学でも、どんな学問も、纏められたとしても、纏められた知識を持って産まれてくる人間はいないからである。

そこで詰め込み教育をさせようとか、理解に費やすエネルギーを減らし、無知から生まれる何かに期待するとか、初めから分野を絞らせるためのゆとり教育などが考えられた。

ーーーーーーーーーーー

相対性理論で示されたように、膨れ上がるにはエネルギーがいる。怠け心という、生物としての本義が発する重力から逃れるために必要な速度を出すためには、エネルギーが必要で、怠け心が強くなればなるほど、必要な速度も速くなり、エネルギーは二乗の割合で必要になる。

ーーーーーーーーーーー

積み重ねを咀嚼するエネルギー、怠け心から逃れるためのエネルギー、この2つカラカラになった燃料タンクを抱え、燃料を補給したそばから、積み重ねを与え続ける事が出来る社会の維持と、知恵を知識にする研究の継続を求められるのが、現代社会ではなかろうか。

だから癒しが求められ、スローライフが持て囃され、持たない生活が特集される。どんな社会になろうとも、上記の分野におけるエネルギー消費は必ず起こるのに。

ーーーーーーーーーーー

必ずエネルギーの消費は起こる。減らす事は出来るが、それは怠け心の重力に引き寄せられることになる。または、贅沢の重力に捕らえられる。そしてビッグクランチがおこり、ビッグバンがまた起こるのかもしれない。その期間はどれくらいで起こるだろうか。古代ローマ並の土木工事が出来るようになったのは、一体何年後の話だったのか。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する