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2017年09月21日05:43

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隠岐群島に対馬沖海戦の戦没ロシア水兵の墓碑

明治38年5月27日〜28日日露の艦隊は日本海で激突し、バルチック艦隊は壊滅状態となり、ロシア側から4500人以上の戦死者が出て敗走した。いわゆる対馬沖海戦である。その激しい海戦のあとロシア兵の多数の遺体が各地の日本海側海岸に漂着し、日本人漁民たちはそれらを拾い上げ、丁寧に葬り経をあげて供養したそうです。そういったロシア兵の遺体8体の墓碑が島根県隠岐の島に数カ所残っており、住民たちの手で長らく清掃が行われ、花が手向けられ、敵味方の恩讐を超えて、美しいヒューマニズムのお話として語り継がれています。
そういった墓碑の一部が隠岐群島西ノ島町にもあり、シベリア抑留中チフスに罹り生死をさまよった西ノ島町出身の日本人捕虜をロシア女性の看護婦が自分のコートを売ってリンゴを買いジュースを飲まし続けて看病し、その結果男性は無事回復して帰国を果たしたそうです。この方はすでに他界されましたが、帰国後隠岐群島のロシア兵の墓碑の清掃を欠かさず、草刈りに汗を流して、毎朝シベリアに向かって「ありがとう!」と叫んで過ごしていたそうです。シベリア抑留の一般的なお話ではとにかく「国際法を無視して抑留され、ありとあらゆる虐待を加えられ、ロシア人は極悪非道な民族」とのお話が多く流布されています。しかし、私の知人の中には抑留中ロシア人からアコーデオンを習い、帰国後アコーデオン奏者となった人物もあり、ロシアの民衆が一様に非人道的な民族とも言えません。
近々ぜひ隠岐群島を訪問し、関係者のお話をお聞きし、墓碑にもお参りしたいと思っています。

ワシリーこと岩佐毅

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