緒方洪庵ゆかりの適塾旧宅から数百メートル、車や人が忙しく行き交う大阪市中央区今橋3丁目の日本生命・本社ビル側壁に、一つの古い石碑がひっそりと立っている。これは亨保9年(1724年)この地に創設され、明治2年(1869年)まで続き、のちに大阪大学
日清戦争終結後、極東の利権をめぐって日露の間では厳しい対立が激化し、ついに明治37年1904年2月4日緊急御前会議に於てロシアとの開戦が決定された。既に着々と開戦準備をすすめていた日本軍は直ちに出撃し、朝鮮半島の仁川港沖に停泊中の巡洋艦ワリャーク号
今日は午後青山学院大学で来日ロシア人研究会に参加し3人の興味深い研究発表を聴講し、日本のバレエの母といわれるロシア女性エリアナ・パブロバさんの伝記を購入しました。研究発表も滝廉太郎を指導したケーベルについて、ロシア正教会に関する報告、ロシア
〜津山藩医・蘭学者箕作阮甫とパラダ号の長崎来航〜緑の中国山脈を左右に見ながら、大阪から車で一路西へ約2時間30分走行すると、せせらぎを白鷺が散策する吉井川が蛇行し、桜の名所としても名高い森忠政(織田信長小姓・森蘭丸の弟)が築いたとされる城跡(
久しぶりに津山市の洋学資料館を見学、感慨深い一日を過ごしました。岡山は幕末蘭学が盛んで、大阪大学医学部の祖である適塾(大阪市北浜に現存)の開設者緒方洪庵も郷里岡山出身です。津山からも続々蘭学者が出ていて、とりわけ幕末ペリーが持参したアメリカ