「今治城」の天守を調べてみよう。
今までの望楼型と異なり、日本初の層塔型天守と呼ばれる五重天守が築かれていた言う。
しかし、完成まもなく丹波亀山城へ移築されてしまい、その後は天守再建する事なく明治を迎えている。
ところで、築城当時、本当に天守があったのかどうか謎のようだ。
天守の存在は江戸幕府に残る文献に“天守を解体し家康に献上”の記述が根拠になる。
しかし、本丸に天守台が残っていない事から、天守位置が確定できず今も決着がついていないとの事。
さて、現在の天守は今治市制60周年の記念事業として昭和55年(1980年)に復興。
しかし、藤堂高虎が建てた層塔型ではなく望楼型五層六階のコンクリート造で再建している。
また、北隅櫓の櫓台を改造して再建。
ただし、この天守の位置は推定されている本丸中央付近とは異なる。
位置も形も異なる模擬天守なのが非常に残念である。
つづく
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