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2017年06月22日15:55

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【虚無を破壊する。】 

【虚無を破壊する。】 

つまり、虚無的な思考から
出ることを。

虚無的な思考は、ひょっとすると
思考から、空を学び、理解し、
納得するということにした知性が
おちいる罠かもしれない。


非常に、ソレは、学問として
理解すべき対象として、
比類なき、世界を説明できる説明として、
論理として卓越しようとした大人が
おちいるところかもしれない


非常に、納得がゆき、
人々を従わせることが出来る論理が
もし仮にあるのなら

たとえば、人々が世界に対して
盲目であり、なんらかの答えが欲しいとしよう

(ここで、人類がもつ意識を、枠組みがあえさえすれば
大量の殺人さえ合理的と判断しうる、
ある意味欠陥があるようにさえ見える
仕組みだと、今、仮にすると)


すると、その一連択一の
初論から、終論にいたるまで、論理的に
論理欠陥の補いを完了した論理

それを提供されれば、
信じることさえするかもしれない

宇宙が、信じる結果を見える世界かどうかは
不明だが

宗教がたくさんあるように
いろんなものの見方は存在するものの

それが唯一論だと
各宗教が説明しうるかもしれない

すると、信じれば、
答えになりうるかもしれない。

(すくなくとも、カルトも
中にいて信じている人にとっては福音なわけで。
外から見ると滑稽に見えるかもだけど)


そして、空論というか
虚無論に関しては

まるでそれは、
疑問をさしはさむ余地のないことに見える

大人たちが、というか
論理的完結を求める大人たちが好きだろう


そして、虚無論の場にいる人々は
多くがそのようにも見受けられる。


これを書くのは、まずいことであるが
(誰かの既得権にぶつかるがゆえ)
わけわかないことを書いてみる。


まず、虚無の場
虚無場を支えとして論理展開すると
それは、非常にやりやすい

こんな具合に

<すべてが
虚無であり、虚無の産声に
生命が入り出て行く

私は、その虚無にいるのだ
すべてを見限ったのだ>

非常にスムーズに聞こえうる

つまり、虚無という
<誰も到達していない場>にいて
そこから喋っているのだ
というように


なぜ、その場にこだわり
とどまり、その観点をとるのだろう?

おそらく人と
なんらかの差ができるからかもしれない


その差を生みたい者は
なんなのか?


別の見方をしてみよう。

もし、仮に、あらゆる万物に
その背景が潜むのなら

たとえば、いま
ガソリンスタンドでもいい


仮に、私が
いま、ガソリンスタンドだとすると

人々は、とくに
用件をすませはするけど
去っていく

だれも、気に留めやしない。



虚無の主張は、よく目立つ
完結した論理も、よくできている


けれど、いま、仮にとっている
この観点から見るなら


それは、ガソリンスタンドと同じだ


虚無論も、ガソリンスタンドも同じ


気に留めやしないのなら


誰が、そこにいるだろう?


誰も、いやしないが


同じものが潜む



潜んだものから展開される
表現はあるが

中には何も無い


空っぽの器の中の
空間が

空っぽの器をもってしなければ
捕まえられないように

その背景は主張なきままに
隠れているのかもしれない


虚無論も1つの観点であり
物語に、いま、仮にしてみよう


その器を使っても

その空間は切りとることは出来るけれど


ガソリンスタンドという

器を使っても

その空間を切り取ることも出来る


同じ話しなのだけれど
違う話


とらえかたは、無数に
あるといえばあるようだ

ないといえばないようだ


自分で決めた観点から
探求するとき

ものの見方はどう変わるだろう?


自分自身で遊んでみたとき

他にどんな見方が遊べるだろう



遊びから、いま

外に飛び出して。
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