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2017年06月18日20:59

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三河の東照宮ー瀧山・鳳来山東照宮を中心に

6月18日

今日も 岡崎市美術博物館に行って、講演会を聴いてきた。

今日のテーマは、「三河の東照宮ー瀧山・鳳来山東照宮を中心に」で、岡崎市美術博物館の副館長の堀江氏が講演した。

瀧山東照宮と鳳来山東照宮は、幕府が 建立した東照宮である。

幕府が建立した東照宮は、全国で8つくらいあり、そのうちの2つが この三河に存在する。

三代将軍家光の命によって建立された。

というのは、家康が 三河で生まれたからである。

1.瀧山東照宮の成立

1644年 10月 大樹寺の神祖御宮造営地点検のために 松平正綱らが派遣を命じられた。

三河で東照宮を建てる土地を探し瀧山寺の隣に 建てることが決まった。

1645年 完成  家光名代寺社奉行松平勝隆と家綱名代が代参。

岡崎城主 水野忠善が警固   徳川家光の瀧山寺宛612石寄附の判物(200石 東照宮領)

別当青龍院亮盛(天海の弟子)   瀧山寺学頭   普段は寛永寺の中の青龍院にいるが、年末・年始には瀧山寺にいる

江戸と瀧山寺の関係

2.鳳来山東照宮の成立

1640年成立  「東照社縁起」に記された於大が鳳来寺参籠、家康懐妊伝承

日光社参の家光が 東照大権現は鳳来寺薬師の垂迹であることを知り建立を命じる

1648年 幕府見分
 浜松城主太田備中守 勘定頭ら

1651年 正遷宮   名代として小笠原壱岐忠知、普請奉行衆、御三家の使者も参向

将軍家綱判物 、薬師堂領 合計 1200石

幕府の役人が管理、老中三人が東照宮と薬師堂の年中行事、配当目録の規定書


奉納の鳥居と燈籠
1。瀧山東照宮 1645年〜1646年頃までに 三河諸大名による奉納
鳥居は岡崎城主 水野忠善, 水盤は吉田城主小笠原忠知、燈籠は刈谷・田原・西尾の城主など

岡崎城主奉納の石燈籠   城主に就任した場合、東照宮に石燈籠を奉納するのが慣例。
歴代城主の石燈籠が残る

2.鳳来山東照宮
1651年 正遷宮時の奉納品
鳥居は浜松城主太田資宗、手水鉢は西尾城主井伊直好、銅燈籠は遠州横須賀城主本多利長、石燈籠は岡崎城主水野忠善など、造営時に下奉行を勤めた幕臣


東照宮の修復 

1、瀧山東照宮の修復  8回やっている 幕府が修復

2、鳳来山東照宮  12回 幕府が修復するものと、修復料として手当金をわたされるものがあった。

鳳来山東照宮と浜松城主との関係  造営時は浜松城主  吉田城主が御用になる時もあった


東照宮参詣

瀧山寺の年行事記録から  岡崎城主本多氏 在国の年は4月17日参拝 在府の年は家老が代参

刈谷藩主・挙母藩主など 入部の翌年だけ参詣

日帰りで参詣している

庶民の東照宮参詣  あまりよくわかっていない


その他三河の東照宮

大樹寺の御宮  慶安元年頃に幕府より家康を祀る「御宮」造営  家康木像

秀忠廟も造営

諸大名建立の東照宮  岡崎城内の東照宮

寺院建立の東照宮





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