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2017年06月05日08:13

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姿勢のわるさ

長い間、体調を崩していたからだろうか、そしてそのせいで体重が落ちてしまったからだろうか、いや少なくとも軽くなったから、ということではないだろう、どうも椅子の坐りが良くない。座っていてドコか違和感を感じる。ちょっとした気がかり、ではなく、気持ちだけでなく、躰の...なんというか本来整えられているべき筋、のようなものごズレている気がする。もともと真っ直ぐでもなかったのだろうか、問題はそのことに関して坐りの悪さを感じてしまっているということ。タダの体調不良というより、それにより気が滅入りガラにもなく、観念的な呵責に囚われているのだろうか。たとえば正義感とか。

自己都合をゴリ押しするため振りかざすことはあるが、正義感に関しては、縛られることはない。というより、そのマインドの客対となるべき、しっかりと体系化された正義やらというのがあるわけではない。ドグマ、定義、スローガン。その概念を消去法で浮き彫りにしようとした場合の一つの禁止事項すら思い浮かばない。殺すべからず、盗むべからず..くらいか。その二つくらいは浮かぶが、では盗むというのはどういうことなのか?というのが浮かばない。金なのか時間なのか、他人からなのか自分からなのか。

正義を振りかざす国には、ほぼモノシズムの神とストイックな教徒がいる。それがべつに宗教である必要も創造主と仮定される存在でなくともいいのだが、肝心なのはその敬虔度合なのだろう。というより正義そのものがその客対であり、そこに翻身する素地があるかどうか。おそらく自分にはなく、自分が住む国やらコミュニティーやらにはない。我々はおそらく正義というより秩序。多くの人々がまことしやかに諳んじている「場の秩序」というやつに殉じているのだろう。はっきりと目に見えないなにかしらに、激しくぬかづいている、という意味では同じなのかも知れない。

その昔は「大義」と呼ばれていた。歴史的事実のの評価は変遷するが、今エディションによると「愚かだった」と呼ばれる時代、通じてもてはやされた概念。言葉の感じからすると西洋的な臭いのする「正義」やら中国やらから伝播したであろう「仁義」やらより凄い感じはする。景気はいいし、なのに失業しても食いっぱぐれはないし、内戦もテロも皆無。なにも不満はない。加えていうなら、その大義というものを掲げられずにすむ世の中というのになったことはありがたいことだ。

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