mixiユーザー(id:6225375)

2017年05月02日08:22

192 view

never young beach

どれくらい前になるだろうか、おそらくビーチ。季節は初夏。そうはいっても水は冷たく、また、海の家などのシャワーに払う金があるなら、アイスでも買いたい季節。随分泳いだ後の躰に浴びるための温水を作るため、1.5lのペットボトルの中に水を入れ砂に埋めたものだ。そのペットボトルは道すがらの100ショップなんかで買ったコーラ。おそらく安いプライベートブランド品。ビーチに辿り着くまでに少しづつ飲みながら、それでも1.5Lなど早々飲めないので、入水しながらも少しづつ口にする。そのうちと、とあるコトに気がついた。それは子供の頃、海水のなかで放尿した気持ち良さにも似ている。それは夏の陽気に熱せられたホットコーラの味。そんな可愛らしいアブノーマルさ、ちょっとした罪悪感(作ったモノの想定する用途に従わなかったことに対しての)、そして気が抜けた感が漂う連休中の出勤日。

春紅葉という言いまわし。日本には、その景色が素晴らしいのか、我々の潤沢な情緒が堪えられず強引に言いまわしているのか、自然を愛でる表現に溢れている。春紅葉とは秋ほどではないが、夏へ向かうにつれ、紅葉が秋の如く色づく減少を指す。色種といいえば、若葉の時期なので、グリーン。練達な葉に比べるとやや薄く、まれに黄色がかっているのか。もちろんコノ時期、若葉が芽吹くのは紅葉だけではない。おそらく落葉樹と呼ばれるほとんどと、また常用樹も年中同じ色、という感じもしない(よくわからないが記憶の中ではそうなはず)。ちなみに竹なんかも黄色ががかっている気がする。樹々そのものが色めいているのか。周りの色が滲んでいるだけだろうか。

そういえば、ツツジも咲いている。コノ時期になると改めて思い知らされる。世の中にはこれほどまでにツツジが植えられている。学校の花壇、食品工場の植え込み、湾岸道路と歩道を隔てるため、老後の土いじりの生け贄として、恐ろしい勢いで我々の生活に忍び込んでいる。そしてコノ時期、人々が新学期だ、転勤だ、GWだとバタバタしているハスで、ひっそりと、それでいてかなり鮮やかに発色する。我々が彼らの存在に気がつくのは、咲いている時、ではなく、そのショッキングバイオレットの花びらが散って、庭先やら側道やらに、散らかったときだったりする。役割的にそれを除去せねばならなかったり、それでなくても、黒っぽく、かつ日差しを反射しているアスファルトやら関東ロームやらに対し、原色でその表面から光を吸い込んでいるかのような(つまり反射しない)花びら。なぜだろう、散った桜が埋め尽くす地面はそこそこ趣があるのだが、ツツジはそうでもない。

色が劣化していないからだろうか。落ちて地面に散らばっても桜のような悲壮感がないからか。春のように、美しさでも湛えていなければ持ちこたえられない心の危うさがないからだろうか。GW前後という分かりやすい躁と鬱でそれどこどではないのだろうか。とはいえ、コノ時期、根津神社とかに行けばやはり圧倒される。夏と春の間だ間だで梅雨に寄り添うように咲く花々。あじさいもそうなのだが、もう少し顧みられても良い気がする。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する