mixiユーザー(id:2778345)

2017年04月27日07:41

178 view

新解 如来神力品第二十一−18(P559)

具共弾指(くぐたんじ)
つぎに「具共(とも)に弾指したもう」とあります。これもインドの習慣によることで、日本人には奇異に感じられるかもしれませんが、人さし指と親指とで円をつくって、それをポンと弾くことを弾指というのです。これにはどういう意味があるかといいますと、「承知しました」とか「たしかに約束します」といって請合うしるしです。
 それで、釈迦牟尼仏はじめ、もろもろの仏がいっせいに弾指されたということは、みんないっしょにこの教えを説きひろめようと固く約束されたことを表しています。すなわち、菩薩行の実行をお誓いあいになったのです。
 ところで、菩薩行の根本精神は何かといえば、「自他一体」ということです。あの人がかわいそうだから救ってやろう・・・というのは、まだ菩薩行の入口であって、人の苦しみを見れば、ひとりでに救いの手をさしのべずにはいられなくなるのが、ほんとうの菩薩心です。
 赤ちゃんがお乳を欲しがって泣く、お母さんがそれを抱き上げておっぱいをふくませる。そのときのお母さんの心というものは、「かわいそうだから」という気持ちなどからは超越したものです。赤ちゃんのおなかの空いたのが、まるで自分のおなかが空いたように切実にわかる。そこで、なんの計らい心なく、お母さんと赤ちゃんとは完全に一体です、そこに紙一重の他人行儀もない。「してやる」という気持ちもない・・・これが菩薩心の純粋な相(すがた)です。
 教えを説く人と聞く人とのあいだも、こうなったら、まったく素晴らしいものです。釈尊とそのお弟子たちとの間柄は、きっとこうだったろうと想像されます。とにかく「衆生病めば、すなわち仏病む」で、「自他一体」が菩薩行の境地であります。


今日は、職長安全教育なので、
遅く家を出ます。
奥さんは、今日、胃カメラと言って、7時に出ていきました。
ってな感じの
木曜日です。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年04月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      

最近の日記

もっと見る