「法華経」を学ぶにしてもおんなじです。われわれは、教えを正しく理解するために、一応こまかに分析して学びました。しかし分析しっぱなしでは、よほどすぐれた人でないかぎり、いままで教えられた多くのことが、なんとなくバラバラな形で頭に残っていて、まとまりがつきません。それでは、真に理解したとはいえません。
まして、われわれが「法華経」を学ぶのは、学問として学ぶのではありません。ですから、よく理解したといっても、それだけではほんものではないのです。「理解」から「信仰」へ進み、理解と信仰すなわち「解」と「信」が渾然として一体になった境地にまで達しなければ、自分がほんとうに救われ、また世の中全体をも救うことはできません。
この信解が難しいですね!解はできても、信まで行かないです。
昨日は、突然18時から会議ってなことをやられて、
久々に仕事をしてる会議に入ったような・・・
わっはっは
日頃どれだけ仕事してないか・・・
やれやれ・・・
ってな感じの
水曜日です。
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