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2017年03月28日22:39

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揚げパン・アルマイト容器の脱脂粉乳・鯨の立田揚げ

facebookの「懐かしき昭和時代」のページに給食の記事が出ていた。

給食には必ず中が空洞の大きな揚げパンが出てきた。
これはその当時、過剰生産気味だったアメリカの小麦粉が大量に輸入されて作られたもの。油こくって、子供心にもまずかった。

もう一つ、ひどかったのが、脱脂粉乳。現在のスキムミルクとは違い、全くパサパサの液体。液体なのにパサパサとは変に感じるかもしれないが、ともかく脂肪分がまるでないのだ。これもアメリカでバターやチーズを生産した廃棄処分となるべき液体が日本に送られてきた結果である。

これが大きなアルマイト製の容器になみなみと入っている。到底飲みきれないので、先生の目を掠めて廊下の水飲み場に捨てに行った。ところが見つかると、拳固で頭を殴られて、もう一杯飲まされた。

週に1〜2回はコーヒー牛乳と称する泥水が出た。

小学校3年か4年になって、初めて瓶に入った本来の牛乳を飲んだ時は、あまりのなめらかさに涙が出た。

僕より上の世代が反アメリカの安保闘争に走ったのはもちろん政治思想上の問題だろうが、内面としては子供時分にアメリカから押し付けられたまずい揚げパンと脱脂粉乳に対する怨念があるのではと勝手に思っている。

そのなかで、唯一の希望だったのが鯨の立田揚げ。これはうまかった。とてもうまかった。アメリカが鯨油から石油に転換した結果、日本が捕鯨に乗り出した。鯨の立田揚げは、その恩恵だった。家に帰ると、親父は鯨ベーコンで晩酌していた。

その後、アメリカを中心とする反捕鯨国の圧力で白長須鯨とかが食べられなくなった。缶詰の鯨の大和煮はミンククジラに変わってしまい、まずくなった。これもアメリカに対する怨念の源泉になったのかもしれない。

※写真はネット上に出ていたもの。

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