去年の12月に屋久島へ行った。
九州最高峰へ登ろうとして、頂上直下で氷に阻まれ撤退。
雪が溶けた3月で再挑戦してきた。
3月19日(日)
前回は青春18切符で名古屋から鹿児島を往復した。
また同じことをするのもしんどい。
お金はかかるが楽な方法で行く。
20時20分、名古屋から熊本行きの夜行バスに乗る。
3列シートのフラットシートだ。
寝心地良くバスの中では熟睡する。
3月20日(月)
8時ごろ、熊本駅前に到着。
ここからは青春18切符を使い普通列車で行く。
9時、八代駅に着く。
駅前の喫茶店でモーニングセットを食べる。
ここから肥薩おれんじ鉄道に乗り換え。
新幹線ができると、もうからない在来線は第三セクターになる。
接続が悪くなり、料金も上がり、地元の利用者は不便になる。
新幹線ができると街は衰退していくのだ。
肥薩おれんじ鉄道は八代から川内まで海岸線を走る。
景色が良い。
乗客の半分以上は観光客だ。
みんな熱心に写真を撮っている。
わたしも座席から立ち上がり、風景をカメラに収める。
このまま川内まで行こうかと思った。
でもせっかくだからどこか観光をしよう。
水俣駅で降りた。
有名な水俣病の観光をする。
駅の前には大きな会社がある。
チッソ水俣本部だ。
この会社の工場が60年前に大量のメチル水銀を海へ排出していた。
それが魚を汚染して、魚を食べた人たちが水俣病になった。
患者数は一万人を超えている。
わたしは以前から不思議だった。
そんな悪いことをするチッソという会社を、どうして水俣市民は放っておくのだろうか。
駅から降りて理解した。
ここは水俣市じゃなくてチッソ市なのだ。
わたしだってトヨタが残虐非道なことをしても見て見ぬふりをするかもしれない。
国道を2キロほど歩く。
大きな公園の外れに「水俣病資料館」があった。
入場無料で館内撮影は禁止だ。
展示してあるのは水俣病の歴史、資料、写真、映像など。
入館者が少ない。
映像コーナーの映画が始まったら係の人がわざわざ呼びに来てくれた。
わたしは資料館を見学してわかった。
水俣病の患者さんたちは、ただ病気になっただけじゃなかったのだ。
患者さんの多くは魚をたくさん食べる漁民だった。
水俣湾での漁は禁止されて職を失う。
病院代が払えず極貧の生活だ。
生まれた子供は胎児性水俣病で重い障害を持っている。
地元住民からは差別を受けて糞尿をまかれたりする。
こんなことよく我慢できたなあ。
自分だったらチッソの役員を誰か選んで、一家全員惨殺してやる。
水俣市には他に「水俣病歴史考証館」というのがある。
もっとサヨクで生々しい展示があるそうだ。
でも距離があるからやめた。
またそのうち来よう。
駅へ戻る途中に「百間排水口」があった。
ここからメチル水銀入りの工場廃水が海へ放出されていた。
すべての水俣病は、この排水口から始まったのだ。
世界最初の環境汚染による公害病が引き起こされ、歴史を大きく動かしていった。
アウシュビッツや原爆ドームと並んで、負の世界遺産に指定すればよいのに。
向かって右に説明看板があり、左にお地蔵さんがある。
それらがなければ、住宅街にある普通の排水口だ。
しばらく立ち止まって、いろいろ考えながら眺めていた。
水俣駅に戻る。
また肥薩おれんじ鉄道に乗る。
川内駅で再び鹿児島本線に乗り換え。
鹿児島駅に着いたのが17時だった。
12月に泊まったイルカゲストハウスに行く。
ドミトリーで1800円だ。
隣の天然温泉で入浴。
天文館を散策するけど、やはり鹿児島は安くて美味しそうなお店がない。
ゲストハウスに戻る。
一階が居酒屋になっているので、ご飯を食べた。
ここはゲストハウスのオーナーの娘さんがやっている。
娘さんは焼酎が大好きでお店を始めたそうだ。
美人の娘さんで、店内をうろうろしている猫もかわいい。
お酒は鹿児島産の安くて美味しい焼酎を50本ぐらい揃えている。
どれでも一杯300円だ。
銘柄を見てもわからないから、おまかせで頼む。
本当にどれも美味しい焼酎だ。
気分良くなって2000円以上も飲んでしまった。
この居酒屋で飲むためだけに鹿児島に来てもいいぐらい居心地の良いところだった。
3月21日(火)
7時30分、フェリーに乗るため乗船場へ行く。
そしたら今日は悪天のため欠航だった。
いそいで高速船の乗り場へ向かう。
高速船はフェリーの半分の時間で着く。
でも料金が二倍くらい。
だから乗りたくなかったけど仕方がない。
10時20分、種子島経由の船に乗る。
13時、屋久島に上陸する。
13時30分、紀元杉行きのバスに乗る。
やっと山登りが始まるのだ。
(つづく)
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