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2017年02月16日18:11

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長文です。


空手道場も経営している整骨院の息子を教えていたことがある。
その父が言うには、
「(自分の息子は)オリンピックで金メダルが取れるかもしれない。」

私には空手のことはわからないから、どのぐらいの実力なのかは分からない。
そして、父親はこうも言う。

「だけど、そうやって金メダルを取った人の人生が、必ずしも良いとは思えない。」

ここには、私は何となくだが同意はできる。

けれど、さらに話は飛躍していく。

「だから、(息子を)医学部に進学させて医者にしたい。」と。

金メダルを取ったから良い人生になるわけではない。のは確かだと思うが、
さりとて、医学部に行って医者になったらよい人生なのか?

ここは疑問の余地がある。
しかも、「整形外科」 だそうだ。
整骨院をやっているから、整形外科、という つながりは分からなくもない。

医学部の内容は大きく分ければ、内科と外科。
このくくりは良いとして、医学部に志望する高校生が外科医になりたい、
という希望はよく聞く。が

「じゃあ、研究室の配属で内科になったらどうする?」

みたいな質問は一応しておく。

しょせん高校生が考える事。
大学で学ぶ内容も、研究する対象も良く知らないのは当然だと思うが、
だから、自分の希望が通るとは限らないのも知っておかなければならない。
世の中に需給関係がある以上、国家的な目標としても内科医の割合や外科医の割合はあって当然。
予算もそのように振り分けられているのだから、自分の意図しない配属になることもあろう。

確実に自分の希望を通すためには、誰にも文句を言わせない成績。
つまり学科で1番。という結果を残すべきだが、
正直、大学でこの目標は簡単ではない。

オール5、あるいは オールA を取ってしまう者は必ずといっている。
大学での5段階評価の5、あるいはAは、高校の成績ほど難しくはないのかもしれないが、
学習内容が、格段に高度になっている中、まじめにやっていると分からないことも多々出てくる。
その時、「分からない」で済ませてしまわなければ、良い成績にはならない。
良い成績を修めている人は、概して、そこは割り切って成績の方を取りに行っている。
そして、自分が5を取れないとき、その科目の履修をわざと回避したりもする。
(学びたい意欲があったりすると、これはできない。)


また、医療の現場は人の生き死に直面するもの。
感情的に優しすぎたりするとできない仕事もあろう。
人を人とも思わないドライな考え方を持ってこなければ、自分が苦悩する。
そういう医師もたくさん見てきた。
(その代表が曾祖父だとも思う。)



一応、今やっている仕事が、曾祖父の顕彰だから、このことは第一に前面に出す必要はある。
曾祖父は、東大医学部を2番の成績で卒業している。
帝国大学が東大しかなかった時代だから、超絶的に優秀だったと言える。
しかし、明治期にコレラが蔓延していた時は、ほとんどなすすべがなかった。
抗生物質の発見される前では致し方のないことだとは思う。
曾祖父は昭和12年に亡くなっているので、抗生物質の存在そのものを知らないままである。



もし、ペニシリンの発見事実を知ったなら、

 「しまった!」

と、思ったかもしれない。
まだ、漢方薬的なものに頼っていた医療の現場でその事実を知れば、
みすみす死にゆく人を診ているのではなく、
自らの努力によって治療方法を確立できたかもしれない。
と、考えたであろう。


 「人を救うのは、医療ではない」

 と、私にとっては、まったくの方便としか思えないような発想で出家する。
家族からは当然だが激しく非難を受けている。
その証拠は、大叔父である飯田無二の日記などに詳しく書かれていたりするのだが、
大叔父自身は、阪大病院の院長までやっている。
かなり偉いのである。

大叔父の晩年、毎年9月20日(これが曾祖父の命日)には、
身体が悪いのもいとわず、西宮からタクシーで高槻にきて、そして拝んでまたタクシーで帰宅していた。
その姿を見るなら、曾祖父が、若き大叔父には誤解があったとしても、
医者として絶大な力をふるって(なんと言っても白い巨塔ですから)、
医療の現場そのものを知り尽くしている大叔父から見て、
やはり立派な人だったのだろう、とか推察される。

私はそこまで人間ができていないので、
やはり、学術的アプローチをやらないで、患者の治療ではない方法で何か答えを見つけようとしている姿には
反発もある。

 よって、「坐禅などしても何にもならない」というのが私の主張ではある。

 が、可能性として、背筋・首筋を伸ばすこと、が、脳から脊髄への神経伝達をスムーズにすることで、
様々な身体の健康に寄与するのではないか?
という想いはある、がこういうことを大ぴらに云うと法律に触れるので、可能性があるかもしれない、
などというソフトな表現でしか言えない。

人間が、脳で物事を考え、苦しみや痛みを神経を通じて脳で感ずること
また、喜びや幸せも、脳の思考の中で形成されることを顧みれば、
原始的な感受性の問題だけではなく、
より高度な思考の中にも、根源的に「幸福」をもたらすような因子はあると思う。
曾祖父がその先の領域まで踏み込んでいたとしてもなんら不思議ではないが、
当時は現代ほど、神経系のことは分かっていなかった、
かなり感覚的なものもあったろうと思う。

そうした感覚的なもの、はブッダが生きていた古代インドであっても、
それなりに理解できたのかもしれない。
それ故、座禅(坐禅でも同じ)というものが、何千年もの時を超えて、
現代の私たちにも試されてるのだろうと考えるのは、自然な思考である。


とはいえ、大学で良い成績を修めるのは簡単ではない。
例え、医学部に進学しても、希望通りの進路が取れるとは限らない。
研究室配属がそうならなかったとしても、免許が取得できれば良いのです。
と考える者もおろうが、
人の命を直接扱う職業である。
その、倫理的な部分を無視して教育する、というのは私にはできない。


金メダルを取っても、それが良い人生にはならない。かもしれないが、
医師免許を取得しても、良い人生になるわけではない。
具体的事例が示している。
自分が一番得意でやりたいこと、を滅してまで選ぶ進路ではあるまい。


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■昏睡少女に集団で性的暴行の疑い、医師ら3人逮捕 埼玉
(朝日新聞デジタル - 02月16日 16:14)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4435622

 酒に酔って昏睡(こんすい)状態の少女に集団で性的暴行を加えたとして、埼玉県警は16日、船橋中央病院(千葉県船橋市)の医師、上西(かみにし)崇容疑者(31)=千葉県船橋市海神6丁目、準強姦(ごうかん)罪で公判中=ら3人を集団準強姦容疑で逮捕したと発表した。

 ほかに逮捕されたのは、東京慈恵会医科大学病院(東京都港区)の医師松岡芳春容疑者(31)=港区西麻布4丁目=と、大学生の柁原龍佑(かじわらりゅうすけ)容疑者(25)=東京都大田区大森西3丁目。上西、松岡両容疑者は黙秘し、柁原容疑者は容疑を認めているという。

 発表によると、3人は昨年4月30日午後10時35分ごろ、上西容疑者が借りていた大田区内のマンションで、酒に酔って昏睡している10代後半の少女に集団で性的暴行を加えた疑いがある。上西容疑者は、同じ日に別の10代後半の少女に対しても、昏睡中に性的暴行を加えた疑いがもたれている。

 上西容疑者は昨年7月と9月に、いずれも埼玉県在住の20代女性2人に対し、酒に酔って抵抗できない状態で性的暴行を加えたとして、埼玉県警に同10月に逮捕され、起訴されている。
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