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2017年02月10日13:27

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お洗濯日和


 風は強いものの、朝から太陽が見えている、お洗濯日和。
 寒さは、昨日よりは和らいだようだ。

 庭に、風邪に飛ばされたのか、柚の実が落ちていた。
 そのまま放置していると、どこから飛んできたのか、つがいの小鳥がその落ちた実をついばんでいる。

 さて、引用の記事によると、溜まった汚染水は96万トンとか?
 どうするかは決まっていない、と書かれているが、アルプスで処理して、冷却水を循環させるのではなかったのか?
 もう少し、「当初の計画に反して、立案されてきた処理計画はほぼ使えないことが判明し、結局汚染水はタンクに溜めておく以上の対応に苦慮している。」とか、書きようがあろうが、その辺はどうでもよいと思っているのだろうか?

 タンクにも耐用年数はあろう。土地を造成すれば、タンクを置く敷地はまだ確保できるだろうが、地震が来てもタンクは壊れないのか? もし、それほど丈夫なものが作れるのだったら、最初から原発を高台に設置すれば済んだ話。となろう。

 わずかなコストを削って採算ラインに乗せ産業として成長させる。という手法は、日本人には向いているものなのかもしれない。実際にそれで成長した企業は沢山ある。
 しかし、結局安全と引き換えることはできなかった。

 昨今、交通事故のニュースが良く流れる。
 交通事故のニュースがクローズアップされる社会というのは、ある意味平和だからだが、それでも交通事故を 「根本的に解決する」 議論はほとんどされていない。
 
 おおよそ、自動車は自動車専用道路を走る。

 みたいなことを定めれば、歩行者を巻き込む事故は大幅に減らせる。
 だが、そうしないのは、膨大なコストが掛かり、その結果経済が冷え込むと考えられるからだろう。

 歩行者と自動車を決定的に分断する道具として発明された 「横断歩道」 も積極的利用者は、通学する児童に限られていたりする。然しながら、もし、横断歩道が発明されていなかったら、もっと多くの犠牲者がこれまでにあったかもしれない。

 原子力発電は、劣悪な炭鉱労働者の解放につながったかもしれない。
 大気汚染に悩まされ、多くの犠牲者を出した、光化学スモッグや喘息などの公害病からたくさんの患者を救って、そして健全な環境を作ったかもしれない。

 しかし、石炭の利用技術は昭和の時代よりも格段に進歩している。仮に原子力発電が出現しなくても、上記の問題は解決していただろうと思われる。

 タイトルの 「非日常的な作業がルーテインに」 という意味は少し分からない。
 おおよそ、どのような職場でも、その職場を良く知らない人が見れば、「非日常」 だろう。日常はその人が、毎日することに依存する作業であって、違う仕事をしている人の作業は元々、非日常なのである。


 東京電力は、原子力発電所を爆発させる、というトンデモないことをしたのである。その責任はなんとしても取るべきだろう。その前提に、

 こんなことが起こったら、原子力発電所は通常の運転では起こらない大惨事になります。という想像力が欠けていた。今でも欠けていると思う。
 原発の周辺自治体では、具体的な避難訓練などが開始されている。
 しかし、避難しなければならないものだと、最初から知っていれば、誰がそんなものの建設や運転を認めたであろうか?

 戦時に、空襲があるから防空壕を作ったのと同じ発想ではないか?
 最初から米軍から空襲を受ける、ということが分かっていれば、戦争に踏み出したりはしなかったのではないか?

 避難訓練をしている住民は、冷静に考えれば、自分たちの行動は、「おかしなもの」だと気が付くはずである。

 事故が起こる可能性があるのなら、運転は止めてしまい、電力の生産に必要があるのなら、費用は掛かっても設備を移転するという方法もあるだろう。それにお金がかかる、というのは分かるが、20兆円も掛からないはずだ。

 冷静に考えるべし。

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■非日常的な作業がルーティンに 福島第一、記者が構内へ
(朝日新聞デジタル - 02月10日 11:36)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4425807

 東京電力福島第一原発事故から間もなく6年。朝日新聞記者が6日、構内に入った。廃炉に向けた作業環境は改善されてきたが、汚染水の行き場の見通しは立たず、原子炉建屋は依然として無残な姿をさらし、溶けた核燃料の全容も把握できていない。長期化の様相が一層強まっていた。

 筆者が事故後、構内に入るのは5回目だ。今回は日本記者クラブ取材団に参加した。線量計を入れたベストとマスクを着けるが、それ以外の服装は普段と変わらない。

 1〜4号機を見渡せる高台でバスを降りた。80メートルほど先に1号機。東電担当者の線量計は毎時0・149ミリシーベルトを示した。1号機の原子炉建屋は放射性物質の飛散を防ぐために事故後にいったんカバーが設置されたが、昨年11月までに取り外された。「天井が崩れ落ちた状態が残っています」と東電担当者。指した先には水素爆発で吹き飛んだ建屋上部の鉄骨がぐにゃりと曲がり、がれきが手つかずのまま残る。

 3号機では、原子炉建屋上部にある燃料プールから使用済み燃料を取り出すための作業が進む。かつて鳥の巣のように見えた上部の折れ曲がった鉄骨は撤去された。ただ、建屋の壁側は分厚いコンクリートに亀裂が走り、あちこちで鉄筋がむき出しになっていた。

 隣の2号機は爆発を免れたためかろうじて震災前の外観をとどめている。先月、原子炉格納容器内で、原子炉圧力容器から流れ出た溶けた核燃料の一部とみられる塊が映像で確認された。画像の解析から、格納容器内の放射線量は推定で最大毎時530シーベルトと発表された。9日にも別のロボットの作業中断に伴い、推定毎時650シーベルトと発表された。専門家からは、予想外に溶けた核燃料が拡散しているとの見方が出ている。

 1999年に茨城県東海村のウラン加工施設「JCO」で起きた臨界事故で、亡くなった作業員2人の推定被曝(ひばく)線量は低い人で6〜10シーベルト。これと比べても線量の大きさが分かる。

 バスに乗って2号機と3号機のそばを通った。3号機の建屋から数メートルに近づくと、東電担当者が、線量は毎時0・245ミリシーベルトだと告げた。これでもその場に5時間いれば、一般の人が年間に浴びる限度の1ミリシーベルトに達するレベルだ。

 がれきの撤去などはクレーンや重機を遠隔で操作して進めている。内部の調査はロボットを使っているが、高い線量に阻まれ一進一退が続く。

 敷地内に豊富にあった森林は伐採され、至るところに3階建てほどもある汚染水のタンクが並ぶ。その数約1千基。1〜3号機では事故直後から溶けた核燃料を冷やすために注水を続けているうえ、建屋地下には当初より減ったとは言え1日約150トンの地下水などが流れ込み、汚染水になる。これまでにたまった汚染水は約96万トン。どうするかは決まっていない。

 一方で、放射性物質が飛び散った敷地の地表をモルタルで覆った結果、放射性物質を口や鼻から取り込むのを防ぐ全面マスクや防護服が必要な区間は減った。「敷地内の9割で作業員は軽い服装で動けるようになった」と内田俊志所長。私が最初に敷地内に入った13年、原子炉建屋に近づくには全面マスクに防護服の重装備が必要で、息苦しくて大変だったことを思えば様変わりしている。1200人を収容できる9階建て大型休憩所や、明るい吹き抜けのビルの事務本館が新築された。労働環境の改善は進む。

 本来非日常的な作業がルーティンになりつつある日常。それが逆に、廃炉への道のりの長さを強く感じさせた。(編集委員・服部尚)
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