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2017年02月02日00:15

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SF初心者カフェ 同人誌(平成29年1月29日)

町田のSwing Byにて。
小濱さんがゲストの七里さん相手にSFファンジン(現:SF同人誌)について語る。果たして初心者が居るのかどうかと想ったが、若い人が少しは居た。日本SFの黎明期からご存知の小濱さんに依ると、同人誌と云うのは本来、地方文壇が出している文芸同人誌を指すもので、それでSF界では同人誌とは云わず英語圏で使われているファンジンと云う言葉を使っていたのだと云う。実際、ミニコミ誌などでは同人誌と云わずジンと読んでいたのだとか。日本で最初に出たSFファンジンは「宇宙塵」だが最初「宇宙人」の予定だったのが直前に成って柴野さんが「人」より「塵」の方がカッコイイと想いつかれたのだそうだ。その「宇宙塵」が雑誌で紹介された際、ミニコミ誌に近いと書かれていたのだとか。その内に地方文芸誌の事であった同人誌の意味が変わって行きサブカル系のミニコミ誌などが同人誌と呼ばれる様に成って行き、SFもファンジンと呼ばなく成って行ったと云う。
SF界第二のファンジン「宇宙気流」は紀田順一郎氏を頭に発足したSFマガジンファンクラブの会誌で、その発刊に際してイベントを開こうとし、「宇宙塵」の柴野さんに話を持ちかけて起こしたのが第一回日本SF大会だったと云う。(柴野さん宅の常連で後にSF短歌会を立ち上げられた中村さんも、この時の大会に参加されている)そしてSFマガジンファンクラブは後に「一の日会」と成る。最初は新宿か何処かで後に渋谷に落ち着くらしいが、それでも店は幾つか変わっているらしい。皆が騒ぐので最後は追い出されて別な店を探すと云う事だったと、先日、カフェライブワイヤーに鏡先生方が登壇された時に語っておられた。
嘗てはSF大会のディーラーズルームはファンジンの交流の場であり、SF大会に出す事を目標に新刊が作られたりし、SF大会に行けば日本全国のSFファンジン最新刊が一通り揃っていたのだと云う。処がSF大会に参加するにはそれ也の費用が掛かるので、あまりお金が無い若い人達は本を売る為だけならとコミケへ流れて行き、SF大会からファンジンが無くなって行ったのだと云う。
ファンジンに対するのはプロジン、即ち商業誌なのだが、実は半同人誌的なものが在ったと小濱さんは云われる。只、そこで云われるのはアメリカのセミプロジンとはやや異なる。アメリカのセミプロジンは一般的な商業ルートには乗っておらず、書店で見かける事は叶わない迄も、組織としてはきちんと会社組織を名乗っており社長も存在しており通販で頒布される。この辺りは最初から通販で機関誌を頒布する体制を整えているミニコミ誌に近いかも知れない。SFで見るとNW-SFやSFイズムが近いか。一方、小濱さんが云われるのは書店に置かれているケースで、例えば神戸のジュンク堂や神保町の三省堂で初めて「宇宙塵」を見た人も居るのだと。東京堂とか書泉もそうだし、書泉は漫画同人誌も嘗ては扱っていた。三省堂や東京堂は同人誌と云うより自費出版的なものも扱っていた。
嘗ては雑誌に同人誌のコーナーなどが有り、それを見て往復葉書か切手を貼った返信用封筒を入れて連絡を取ったものだと云う。懐かしい話だ。わたしも高校から大学にかけてよくやった。すぐに想い出せるところではイスカーチェリとかペリー・ローダンのファンクラブとかC・L・ムーアのファンクラブなどが有るか。当時、ムーアのファンクラブの主催者の女性はムーア自身と文通されている方だったが、時代が悪く、松本零士の全盛時代で松本零士のイラストで読んだと云う人が多く松本零士ファンクラブなのかムーアのファンクラブなのか判らない感じだった。わたしの場合、秋田書店の「世界の妖怪」だったかでゴーゴンの遠い子孫の様なシャンブロウと云う妖怪が未来の火星に出現すると云う話を読んでいたので、小学生の頃、キャプテン・フューチャー等を買いに行って「狼男だよ」や「エスパイ」と併せて購入した憶えが有る。(ローダンにはまだ手を出さず、中学の頃、20巻目が出たくらいの頃に漸く手を出したものだ)その時点では「電光オズマ」「男おいどん」「ワダチ」は読んでいたものの、あまり松本零士に関して印象は無く、中学に成って学校で「セクサロイド」と云う漫画が面白いと云われ(その時点では3巻目迄、出ていた)読んでみて「あれ、これムーアの表紙の人だ」と気付いたものだった。当時、通販は定額小為替が主流だった。又、出版社への通販申し込みも振込みか郵便振替か為替、もしくは定額小為替だった。
イスカーチェリの波津博明さん達に関わるエピソードも披露された。わたしはてっきりロシア語を知っているSFファン達が集まったものだと想っていたのだが、実はロシアが第二のSF大国であるからとロシアSFをやる事にし、それからメンバー全員がロシア語の勉強を始めた・・・って、凄いな。ローダン読みたいからドイツ語始めましたってのにも似てるな。
ローダンと云えばmdi(島の王)の若林さんの話も出た。ドイツ発のワイドスクリーンバロックシリーズ、ペリー・ローダンを原書で読みそれを紹介すると云う事を、もう30年以上続けておられるのではないだろうか。1000話迄のエピソードの幾つかの翻訳も出されたりしていた。先読みだけでなくご自分でイラストも描いておられ、昨年の大会では御見かけしなかったが米子には来ておられ「いよいよスリマフォが(ハヤカワ文庫版に)出ますね」と話し合ったものだ。三次元宇宙に三人の女性として出現する女神の如き高次元存在の第一ヴァージョンの少女で、特に若林さんのお気に入りキャラだ。愛称スリーで、インドの女神シュリーから取られた名前らしくハヤカワ文庫ではスリマヴォと表記されている。本イベントでローダンの奥さんとの話が客席から出たが、ローダンの四人目の奥さん(二人目はテラナー植民地が独立したプロフォスの元レジスタンスで後に総統と成り、自由商人の二代目王ロワ・ダントンの母と成るモリー・アブロ、三人目はとある科学者グループのスポークスマン、オラナ・セストレ)に成るのは同一存在だが別人のゲジル(ハヤカワ文庫ではゲシールと表記)の方だ。スリマヴォに較べるとゲシールの方がキャラが弱く感じられるのは、スリマヴォが主役の一人だからだろう。900話台で主役の一人だった少女パヤは複数の作家が書いていたが、こちらはペーター・グリーゼが一人で書き続けており、ヴィールス・インペリウムの再建(?)現場の話だ。特定の作者が担当回でシリーズ的に書いている主役としてはクルト・マールがローダン達と行動を共にする陽気で酒好きで大胆で直感的な天才女性パイロット、ニッキ・フリッケルの活躍を、H・G・フランシスがイホ・トロトの放浪を、エルンスト・ヴルチェクが銀河への道を探すアトランの話を書いており、ゲシールはアトランの話のヒロインを務めているのでアトランに喰われてしまいがちに成っている。スリマヴォとゲシール、それにハヤカワ文庫に未登場の三人目の女性は、庄司卓先生が富士見ファンタジアに発表された「絶神久遠」の元ネタだろう。庄司先生はしばしばローダンをアイデア元にしたと思しきワイドスクリーンバロックのシリーズを幾つも発表されており、代表作のヤマモトヨーコでもローダンの登場人物から名前を持って来たり、ローダン300話台に登場するオールドマンを、デザインから正体から、そのまま持って来てダンディライオンと云う名前で使っておられる。又、未完に終わったダンシングウィスパーズの敵は、恐らく、この先1200話台前半に登場する敵にインスパイアされていると想われる。
話を戻して、SF大会に出される同人誌は激減し続けていると云う。SF同人誌の数々は今や一堂に集められる事が無く、きちんとした記録も無いので散逸してそれっきりに成る危険も多い。今回、七里さんがゲストなのは、その辺りを憂いてSF同人誌の総目録的な同人誌を年刊で発行されているからだ。SFの同人誌は数も減少して行っている様で昨年末のコミケでは、遂にジャンルからSFが消え、前はSFが一つの島に集まっていたのに、或るものは評論、或るものは創作の所に探しに行かなければならなく成ったと云う。今、SF同人誌はシニアが再び作っているのが現状だと云う。若い頃、同人誌を出していた人達が再結集して出しているのだと云う。「宇宙気流」も職を退かれた林さん(平井先生の作品の林石隆さん)が今は編集長をされていると云う。ちなみに林石隆はウルフガイのキャラと超革中のキャラとどちらで説明するかと云う話で、「狼男だよ」に既に名前が出て来ているのだからウルフガイと云ってしまって良い気がするが、有名なのは「超革中」の方かも知れない。
処で小濱さんに依るとWEBマガジンの世界ではSFはあまり振るわなかったと云う。わたしがインターネットを始めたのは20世紀最後の年で、ネットサーフィン等を本格的(?)にやり出してからせいぜい十年くらいなので、そこ迄は判らなかった。只、前述のmdiは可成り充実したものを作り続けているが。
小濱さんは今ならキンドルで出す手も有ると云っておられた。確かにクロームさえ入れていれば無料で出せる。(ルビをふるなどしたければ、e−pub変換ソフト(一太郎でもOK)が必要)実際、日本在住のアメリカ人が日本在住のインディーズ系の作家さん達に呼び掛けて、キンドルで英語の成人向きSF小説誌(創刊号は前田俊夫さんが表紙を描かれた)を出したりもしている。しかし日本ではまだまだ紙の本にこだわる人が少なく無いので中々浸透しないのできなかろうか。

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