その1時間を無為に過ごせば意味がない。
いや、開始時間を1時間はやめれば活動時間は長くなる
でも忘れてはならない少ない時間を有効に使う者もいれば、長い時間を無為に過ごす人間もいる。
私は後者だろう。
為すべきことはわかっている。
しかし、私は漫然と煙草に火をつけ、呆然とする。
吸い終われば、また煙草に火をつけ、呆然とすごす。
淡々とすごす時間に変化はない。
そうしてまた一日は終わり。
一週間が過ぎ。
一ヶ月を過ごす。
そうして半年が過ぎた。
老いだけが積もってゆく。
この身に。
やがて煙草に火をつけることすらやめて、後、この星の一部としてかえるのであろう。
誰かの腹の宿り生れ落ちたこの身は、いずれ母なる星にかえるのだ。
人の生等、この星が生まれ見てきたときに比べれば、一瞬でしかない。
瞬き一つにも値しない。
それでいい、これで。
所詮は星の砂粒一つの物語。
幾億であろうか?幾兆?
そんななかの一粒の話。
だから静かに消えればよい。
本当の母の元にかえるだけ。
それでよい。
それでよいのか?
本当に?
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