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2016年12月28日08:22

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スクラプチャーの整合性

なるほどなあ−と改めて思うのだが全国高校野球選手権大会(通称甲子園大会)というのは歴史が古い。余りにも古いためその開催地は日本国ではなく大日本帝国だった時代もあり、韓国やら台湾の代表が出場したこともあったらしい。そんな時代の高校野球を描いた映画を昨日の深夜に観た。台湾の嘉義なる場所(その昔台湾で反乱が勃発したとき政府軍が必死に抵抗した場所で=忠義を称賛する...と時の支配者が改名した)の農林高校が甲子園に出場し、本土との技術の差やら民族侮蔑やらを乗り越え準優勝した、という逸話を脚色したという映画。決勝でまけたのは同校のエースが指だか肩をやられてしまい、打ち込まれて負け、ということだが、今の都道府県の数プラス植民地(当時)を加えて数の出場校が戦うトーナメント戦で、投げ続けるというのはまあ大変だろう。前置きが長くなったが、決勝戦での投手の気持ちが、わかった気になるような年末。

このまま節分くらいまで積み上げた仕事は片付かないのではないかというコノ時期。とはいえ毎年、年末もあと3日を残すくらいになったこの場に及ぶと不思議に仕事もそれとなく片付いて今までぶっ飛ばしていた慣性もあり急にやることが無くなったりする。そこでこれまで後回しにしていた作業に着手する訳だが、3日前まで後回しにしできることというとズバリ「年賀状書き」。日本郵便株式会社ではクリスマスまでとアナウンスしているが(これも都合の随分いい話だなあ..と思うのだが)、商用年賀状は別に1月1日にとどく必要はなく、毎年、日本郵便株式会社がいうところのデッドラインが過ぎたころから「そろそろ書き始めなきゃなあ」などと思い立ち、残りの3,4日で書きまくる。前置きが長くなったが、そのせいで腕が痛い。そして台湾...投手の腕が痛い気持ちがわかるということはそんなこと。

一時期、10年くらいだろうか、そんな古めかしい慣習などに縛られていてはダメだ...と粋がっていた時期があり、その影響で、またもともと付き合いが蛋白だということで(婉曲にいうとそうだが用はワガママで変わり者なので知り合いが少ない)プライベートで出している年賀状の数は極めて少ない。故にたいしたことはないのだが、問題は社会生活上必要、というか仕事の一部である(当然かかる費用も会社で負担)客先用の作成と発送がまた痺れるほど大量だったりする。いわゆる営業職ではないのだが、なんとなく年賀状を出さねばならない雰囲気の社外の人々が何となく多い職種に携わっている。ゆえにまあ3桁数字くらいの枚数作成する。

せめて宛名くらい印刷すればいのだろうが、手書きを印刷すると何かしらのコメントを裏面に記さねばならない感じがするので、だったらということで宛名は手書き(そして結局裏面コメントも書いている)。そして、年賀状の宛名を書くくらいしかペンやらで何かしらを手書きするコトがない...というくらい手書きしない自分にとっては、描かれる字は反社会的に汚く、かつ遅い。毎年、年末の忙しさで上がりまくったテンションが続いており、またヒマになった時期でもあるので勢いで書き続けるが10枚を越えたくらいから憂鬱になる。が、今年は、隣席の女子が手伝ってくれるらしい。といっても宛名だけ。裏書きのコメントとは明らかに字のスクラプチャーが違い整合せいがとれないのだが...さてどうするか。
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