Eテレのイタリア語講座でやっていたけど、イタリアの料理のレシピには数量の記述がないらしい。なにかにつけ自分のスタイルを追求しようとするイタリア人(偏見)には、数量の指定が押しつけがましく感じられるのだろうか。
実際、レシピに塩小さじ1/3とか細かい指定があったりするけど、これが1/2だったとしてなにが変わるかというと、おそらく食べても違いはわからないと思う。
そもそも材料は自然のもので品質など一定ではないのだから、そのあたり臨機応変に調整しないと、かえっておかしなことになる。昔は『きょうの料理』にも、アナウンサーが調理の途中で材料や調味料の数量を確認しようとすると黙りこんで答えなかった人がいるらしいのだけれど、明記することで数字が独り歩きするのを危惧するのはわかる。
数量なしで作れるということは、料理についての知識やノウハウがある程度まで共有されているということだ思う。自分で料理をすることが、ごく一般的な社会なのだろう。
一方で、料理についてはやや保守的なのではないかという気もする。未知の素材や調味料、新しい調理法を試すことはあまりなさそうではある。その場合は、どうしても数量の記述を含めた詳細なレシピが必要になる。
そんなところが、イタリアの料理事情かと思った。フランス料理が発展したのは、イタリアから料理が移入されてからだというし、自分たちの食べているものに絶大な自信とプライドを持っている様子がうかがえる。
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