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2016年12月10日17:52

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バブル景気のころ

 嘘か本当か、売れ残った2万円のネクタイに5万円の値札をつけたら完売したなんて話がごろごろしていた転がっている狂った時代だった。

バブル期のテレビ局、広告代理店、商社、銀行の大盤振る舞い
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=4325376

 でも、自分がこんなことをいうような歳になったのかと少し驚いてしまうのだけれど、わずか四半世紀にして当時のさまざまにからみあっていたニュアンスが揮発してクリアになり、とにかく常識外れに豪勢だった時代みたいに扱われていて、違和感を覚える。

 はっきりいって記事にあるようなバカ・エピソードの恩恵に浴していたのは、ごく一部の浮き草稼業的ギョーカイであって、そもそも給与生活者はほとんど関係なかったはずである。

 松居一代がなにかの番組でマンションを転売していくだけで何百万円も儲かった話をして、ただの思い出話みたいに「当時はそんなものだったのよ」と付け加えていたが、あれは猛烈な勢いでババ抜きをやっていただけの話であって、その危なっかしさについての認識がいまだにないのが不思議だった。この人は三田佳子と双璧の変な人ではないのかと思うのだけれど、そこが女優らしいといえば、女優らしいのかもしれない。演技しているのをみたことがないけれど。

 他に名前は失念したけれど、超売れっ子だったティーンズ向け小説の作家が当時のことを書いたものを読むと、犬のためにマンションを買うくだりとか出てきて驚く。その人は結局、相続がらみの訴訟に巻きこまれて破産してしまうのだけれど、それがなくてもバブル崩壊で破綻していた気がする。

 ツテがあって土地を買うとなったら、銀行がいくらでもお金を貸してくれたらしい。土地を担保にとればいいという話なのだろうけれど、その地価からして膨れあがった代物なのだから、どこかで泡が弾けると逆回しが起きて、なにもかも縮んでいってしまう。
 そういう風潮をおかしいと思った銀行員もいただろうけど、どうせ成果主義といったところで契約金額しか見てないのだろうから、つっこむだけつっこんで栄転なり昇進なりしたら、後は引き継いだやつがなんとかするだろうという人間が上へ行って、そこに乗れない人は淘汰されていったのだろう。

 土地や物件を転売するだけでふつうの人の年収分の金額が懐に入ってくるような状況はどう考えてもおかしい。それでは、働くということの意味はなんなのか。そういうことを問いかける流れも一方には当然ながらあって、その一部が名門大学出身のオウム真理教幹部になったりもしている。だからといって、カルトに行くというのも、今になってから思えば幼いわけだけれども。

 かくいう私は景気循環の法則からいっても、これほど狂騒じみた景気沸騰の後のリセッションの谷の深さを想像しては憂鬱だった。『マッドマックス』や『北斗の拳』なんてことはないにせよ(あれは核戦争後だ)、チャップリンの『モダンタイムス』とか、大恐慌時代の守衛と争いながら必死の形相で閉まりかかっている工場の門に自分の体を押しこんでいる失業者の映像を思い出しては、嫌な気分に浸っていた。
 あの失業者は、ああやって工場に入ったところでつまみ出されるだけで、入れたから仕事と給料をもらえるわけもないだろうと思うのだけど、そんなこともわからないぐらい必死だったということなのだろうか。

 実際、もう多くの人が忘れているらしくて不思議なのだけれど、バブルの後始末はかなり大変だった。毎月毎月、金融危機がやってくるとマスコミは今度はこっち方向に騒いでいたし、ギリシャほどではないにせよ、リーマンショックのころのアメリカぐらいには、日本発で世界恐慌になのではないかと取り沙汰されていたりもした。
 ちなみに、ギリシャもアメリカもこういう場合には、「だから、俺を支援しろよな」と開き直っていて、なるほど、債務者というのはそういうふうに振る舞うものなのかと感心したのをよく憶えている。

 とはいえ、話に聞く大恐慌のころのようにひどい不況になることもなかった。なんだかんだで選り好みをしなければ仕事はあって、そこそこの生活はできたと思う。自分としては、ちょっと不況ぐらいの方が気分としては落ち着く。妙に景気がいいと、どこかで足払いをくわされそうな気がして不安になる。

 その後でちょっとよくわからないのが、失われた十年(あるいは二十年)という言い方である。一般にはある状態が十年なり二十年なり続いたら、それが「ふつう」ということではないだろうか。、国民の生活がそれなりに成熟してきて、少子高齢化も進むと、投資の余地も減ってくるから、以前のようにお金をぐるぐるまわす機会に恵まれないのは、理の当然だとも思う。いったい、このフレーズを使う人間は基準をどこに置いているのだろうか。
 嫌な予感がするのは、こうした人たちが基準をバブル景気に置いているのではないかという疑惑が生じるときである。さすがにそれはないだろうと思う反面、人間、一度いい目を見てしまうと、なかなかそれを忘れられないものだろうなという気もする。

 自分が生きている間にもうああいうことはないだろうから、今となってはおもしろいものを見たといえなくもないけど、状況に順応するだけだと何度でも同じ失敗をくり返すよなあという一抹の危なっかしさも捨てきれない。

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