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2016年12月09日00:01

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た…たくてぃくす

12月8日…

1963年
プロレスラーの力道山が赤坂のキャバレーで暴力団員に刺され、12月15日に死去。

1980年
元・ビートルズのジョン・レノンが、ニューヨークの自宅(ダコタ・ハウス)前で、狂信的ファンに射殺された。
活動再開直後の死は世界中に衝撃を与えた。

そして…

1941(昭和16)年
午前2時(以下日本時間:現地時間は7日午前7時49分)に日本陸軍はマレー北部に上陸し、午前3時19分に日本海軍機動部隊が、ハワイの真珠湾攻撃を開始した。

「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」という意味の暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電された。

大東亜戦争(太平洋戦争)勃発、米英と開戦。
この後、泥沼の戦争は3年6箇月に及んだ。

元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていたが、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、事実上奇襲攻撃となってしまった。

アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉とした。

歴史の流れの中で余り良い日ではなかった様な気がする。

どういつてつ:同じすじみち。「―を踏む」
同じ轍を踏む…と言う言葉がある。

12月8日は「太平洋戦争開戦記念日」

私は「太平洋戦争」という言い方は史観に誤解を生ずる、と常々言っているのである。
なら、何と呼ぶか…
「大東亜戦争」が歴史的事実を正しく伝える呼び名だと思う。
問題は、この呼び名に拘ると、ウヨクだ軍国主義者だと仰る方がままいらっしゃること。
イメージ的にそんな雰囲気は確かにあるのだが、深く考えずに「大東亜戦争」をウヨクの言葉だと言ってしまうことの方がずっと問題だと思うのである。

天皇陛下が(等というと又色々言われそうだが…)仰る時は「先の大戦」という言葉を使われる。
これも内外の対応に苦慮した結果であろう。

大戦中も海軍は「太平洋戦争」の呼び名を使っていた、と言う説もあるが、それはそれで正しい。
海軍はまさしく真珠湾以降太平洋で戦争をしていたのだから。
しかし、かつての「大日本帝國」は太平洋でアメリカとだけ戦っていた訳ではない。
中国大陸や印度支那、アリューシャンなどを結果的には蹂躙した大日本帝國。
その「大東亜共栄圏」の思想が正しかったのかどうかは別として、また、その行為が西欧列強の亜細亜植民地化に対し、当時唯一のアジアの独立国で先進国であった日本が植民地解放(大東亜共栄圏)の為に戦った戦争なのか、自国の国益と覇権を求めた侵略だったのか、と言うことをきちんと考えるためにも正しい呼び名を使うべきなのではないかと思う。

どちらにしても「太平洋戦争」といい加減に束ねてしまうと本来の歴史と、その意味が見えづらくなってしまうのだ。

そもそも「大東亜戦争」の名がこれほどまでに悪い印象を持って受け止められるのは戦後のGHQの検閲で、その名が全て墨塗りされたことが大きな原因であろう。

昭和20年12月15日附GHQ覚書に基づき文部次官は、「大東亜戦争、八紘一宇等の用語」について禁止令を通達した。
米軍の東京裁判による占領政策の一つである。

歴史的な呼称である「大東亜戦争」を何の考えもなくウヨクだ軍国主義者だと言うのはまさにGHQに押さえつけられた借り物思想なのではないか?

「大東亜」とは「おおむね、南はビルマ以東、北はバイカル湖以東の東アジアの大陸、並びに、おおむね東経180度以西、すなわちマーシャル群島以西の西太平洋の海域を指し、インド、豪州はふくまれない」地理的区分である。

この「大東亜戦争」という呼び名は昭和16年12月10日、大本営政府連絡会議によって「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期ニ附テ」を協議し、昭和16年12月12日、閣議で正式に決定された。

当時の「大日本帝國」は(責任回避の意味ではなく)現在の「日本国」とは“異なる国”と言っても良いだろうが、当時の閣議決定の正式名称=大東亜戦争を用いることは、この戦争の目的や意味を理解する上で重要だろう。

つまり、「太平洋戦争」という呼び名では、妄信的に突き進んだこの国の当時の「正義」も、その「正義の名の下」で中国東南亜細亜等に対して行った「蛮行」も見えづらくなってしまうと思うのだ。

「先の大戦」は69年昔の今日、この国がアメリカに喧嘩をふっかけたのが出発点ではなく、盧溝橋事件に端を発する支那事変にまで遡って考えないと本当のところが見えないのではないか?(日支双方ともに宣戦布告は行っていなかった支那事変は『支那戦争』ではない。この辺の危うさも知っておくべきだろう。)

きな臭い雰囲気が漂う昨今、「戦争が何故起こらなければならなかったか」を知ることは、平和を考える上で極めて重要な意味を持つのではないかと思うのであった。

---

極めて単純明快なことを書く。
戦争は喧嘩である。気にくわない奴をぶん殴る…だけではなく、人が死ぬ。
死ぬのは自分かも知れない。

やっぱり、痛いのや、死ぬのはイヤなのだ。

でも、隣にいる奴が気違いで、突然刃物を振り回したらどうすれば良いんだろう…
考え込んでしまうのであった。

西欧の方々は右の頬を打たれたら、必ず何倍かにして返すだろう。

で…

「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」としてみなければ、過去のご先祖様の行いは見えてこない、と書いたが…
その前に、何故清国艦隊と戦わざるを得なかったか、何故バルチック艦隊を迎え撃たなければならなかったか、その辺りから考えないと過去の不幸の本当の理由は分からないのである。
そこで「間違えて」勝ってしまったのが良かったのか悪かったのか、それは誰にも分からないが…

「間違えて」という表現だが、当時の状況を見るに「常識的には勝てる確率は極めて低かった」と言うこと。

運命論と言うことになるのか…
必然だったのかも知れない。

「先の大戦」…この場合、12月8日からの「太平洋戦争」も歴史の流れから言えば必然だったのかも知れない。
問題は全ての指導者が…いや、そんなことは分かっている。

しかし、その時代は一人一人の人間が個々に名前を持っていた時代ではなかった。
確かに人々は「人の営み」をしていたはずなのだが…
国民総数の、陸海軍の分数の分子でしかなかった。
まぁ戦争というのはそう言うモノなのだが…

日本に軍隊はない、と言う。
しかし、周辺諸国が警戒する位優秀な戦闘集団を擁している。

それは必要であるから。
でも、その力を持つためには「気高く強い父」が居る必要がある。

戦争は悲惨な人災。
戦争には軍隊が必要。
だからといって軍隊そのものを憎んだり嫌ったりするのはお門違い。
しないためにも強く誇り高い軍隊は必要なのだと思う、現状では。
悪いのは使い方を知らない阿呆な指導者、と言うことになる。

鉄砲持ったら撃ちたくなる、と言うのはある意味正しいが、絶対ではない。
優れた日本刀を下げた江戸時代の武士が全員人を切りまくっていた事実はない。

同じわだちを踏まないために…
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