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2016年12月08日08:39

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土手の空

12月の空..というと、夕暮れの時間が終わりしばらく、いわゆる夜のとばりというのが降りてきた頃合いの西の空。幾重に面束ねられた針のように鋭い昼間の名残が夜空に刺さっている。闇が深すぎるからか、風然の灯火の如くな光がけなげだからか、その色合いというのは、ほぼモノトーンなのにカラフルでそして深い。ほぼ雲がなく、また、こまかなチリやら、空気中の水分やらも無く、かなりダイレクトで直線的な光。なぜこの季節の空気はそこまで澄んでいるのだろうか。寒いから、純粋に晴れているから。おそらく空気の質というのが、その抱いている不純物やら温度やらというのが、印象的なのだろう。見上げる人々の信条というのも、センシティブ。押し寄せてくる日々の仕事やらというので、困憊し、夜よりの昼飯を喰らいひと仕事し、さあこれからエンドレスな夜仕事に取りかかるぞ、というときに見上げるのが、そんな景色。

今日も朝から晴れている。同じ透明感があるのは、新しい年がやってきても、また2月になっても同じような気がするのだが、新年はのどかで(たこ揚げやら羽子板やらとかが似合うベタ塗りのインディゴブルー)、2月のはややとげとげしい。この季節、寒いので、また、喰いすぎてファットになった躰を少しでもシェイプするため土手を歩いて通勤しているが、100メートルはないものの河口近くの川幅の景色は広く、はるか高い場所を鳶がフラフラしている。そういえば、この場所を歩くのは久しぶりな気がする。12月に入って1回か2回目。実に長い間、ここではない場所を徘徊していた。

毎日違う時間に電車に乗り、概ね人々が朝っぱらからごった返す場所へ行き、ゴミゴミしながら1日、仕事やらというのに従事した。都会というのは過度に空腸が効いている場所。それほど効いていない場所とともにたたみかけてくる。自然環境では滴らない場所かから普通ではない濃度の分泌物が滲む。1日歩けば、3回くらい洗濯しなければならないくらいの汚れを着衣に纏ってしまう。1日2日くらいは、緊張もしているし、環境の変化が気分転換になるのでいいのだが、余りに長いのは勘弁ねがいたい。まあやっと帰る事ができた。

日が沈むまであと8時間。明けたばかりだというのに、すでに夕方の雰囲気を抱いているような空。おそらく、夜を心待ちにしている気持ちが先走っているのだろう。今日は何を喰らおうか、などとまだこんな時間なのに思い巡らせている。おそらく中華料理だろう。おそらく外食して、ウチに帰りたまったDVDを観てズルズルと深夜まで過ごす。週末にはまた、移動が待っており、週明けも忙しい。

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