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2016年12月01日08:35

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なにしろ師走

ついにやってきた。これまでの人生で年齢の回数だけやり過ごしていただけの師走。にしては、散々辛い思いをしたからか、ものすごい回数、でくわした気がする。だいたいヒトの記憶の中にあるものというのは勿論、純然タル時間の長さとか、正確な回数だけで序列が決まって居るわけでもなければ、記録領域のボリュームが多いわけでもない。記憶が往々にして収まりのいいように(そればネガティブにであろうがポジであろうが結局は都合のいいように)まとめられているように。

あっという間に過ぎていくとはいえ、31日もある..なのか31日しかない、なのか。ないしろ煽られているのでため息をついている暇すらないが、終わってしまった後に振り返ってみるとなにしろ内容が濃いので、記憶化したときに冗長化される。しかし、過ぎた直後、というか過ぎようとしている頃にはすでに夏よりも暑く秋よりも色づく年末の浮かれ具合に持って行かれていたりする。故に、その時間の濃さというのが意識としてぶっ飛んでいる。が、成人の日を過ぎたくらいからだろうか、その後遺症(定量である時間のなかにコンタミされている後処理が必要な事柄の量が、処理キャパに対して多く過ぎる)がじわじわと出てくる。そしてグルーミーな2月がやってくる。

毎年そのパターン。おそらく2月より春先ぐらいまでその後遺症に悩まされているので、12月が長いように感じるのか。コンテンツが多いということだけいえば夏も一緒なのだが、夏は弾けて開放的だからか、内容自体が能動的であり受動的、つまり、やらされている感漲る..からか。そして鼻汁とともに滴ってくる花粉症のイヤな雰囲気というのも、それらを増殖させる。

とはいえ、もちろん、師走から逃げることはできず。仕事、イベント、消費に追っかけられたり、追っかけたり。師走といえば金を使いまくったり、女性のおしりを追っかけていればよかった、という時代がこの日本にもあったらしい。景気やら国富、あるいは淪落を史上最高点を極めた時期。残念ながらその時台の恩恵にあるかることができなかった。が、そんな時代の空気なんて吸わなくて良かったのかもしれない。ないしろ、師走。
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