11月も明日で終わり。いよいよ今年も残りわずかですね。
先日、池上彰さんの番組を観てたら、その中で殺人事件は珍しいからニュースになるんだって言ってた。
昔は今よりももっと殺人事件が多くて、地方の事件は扱われなかったとのこと。
それにしても、毎日ニュースでは誰かが死んだって伝えているよね。
事故だってそう、いや、病気で死ぬ人も加えたらとてつもない人数の人が死んでる。
ニュースになるのは珍しいから。
私はどう死にたいんだろう?
ニュースになるような死に方か?
でも、おにぎり早食い大会でおにぎりを喉に詰まらせて死ぬとかは嫌だな。
もっともったいぶりたい。
一口に死といっても、滅びるのは肉体のみで、たましいは生き続けるわけで。
そうすると、死に方に執着するのもナンセンスか。
今この瞬間は、永遠の現在である。
死後には、時間と空間の制約から解放される。
従って死後の世界では、過去にも未来にも行ける。
思ったところに一瞬で行ける。
交通手段は要らない。
素晴らしいね。
そうなんだ、死後の世界は素晴らしいんだ。
そこでは税金を納めろ!なんていう人はいない。
保険料払え!なんていう人もいない。
だから、金持ちとか貧乏とか存在しない。
あるのは霊的に進んだ者とそうでない者だけ。
我々は本来が霊的存在。
死んだら霧のようなモヤのようなものではなく、しっかりと固さを実感できる、そう、この世と変わらない世界に行く。
変わるのはヴァイブレーション。
高級になっていくというのは、このヴァイブレーションが高まっていくこと。
ある程度まで高まると、もう地上の人とはコンタクトが取れなくなる。
そのために、中継役をする霊もいる。
シルバーバーチがそうだ。
シルバーバーチは高級霊からのメッセージを中継する霊媒。
高級霊そのものは、とうとう最後まで名前を明かさなかった。名前などどうでもいい、いや、むしろ余計なものだ。
一つだけ確かなのは、三千年ほど前にこの世に生きていたということ。
もう再生する必要がない段階まで向上した。
これは私の見解だが、この先人類は、再生を繰り返す者と卒業する者とに二分されていくだろう。
私は早く卒業したい。
一刻も早く。
ただし、カルマの清算のために再生しなければいけない場合がある。その場合はしょうがない。
どちらにせよ私は幸せ者だ。
遅かれ早かれ赴くことになる世界について知っているのだから。
私の使命は、死後にも個性が存続すること、死んだら終わりではないこと、これらを一人でも多くの方に伝えることである。
知識が増えるということは責任を伴う。
なぜなら、知らずに犯す罪と知っていて犯す罪とでは、責任の重さがまるで違うから。
これは重いよ。
行動だけじゃない、思うこと、言葉にすること全てにカルマが発生する。
だからと言って必要以上に恐れることはない。
カルマは寸分の狂いもなく、数学的正確さをもって返ってくる。
過不足なしだ。
今生は、カルマの清算のためにあるのかもしれないし、たましいをさらに向上進化させるためにあるのかもしれない。
断言できることは、我々は未熟だということ。
完璧なら生まれてくる必要はない。
そして、死んだら即完璧になるかといえば、残念ながらそうはならない。
階段は一つずつ上っていくしかない。
ときには下がることもある。
そうやって磨きあげたたましいは、いつの日か素晴らしい輝きを放つのだろう。
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