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2016年11月24日11:47

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 死に撮りつかれて


死に撮りつかれて




 何事にあいまいが好きな日本人。

 いまになっても、まだ死をあいまいにする。

 自分が死ぬということを、知らない人。

 任期を伸ばしても、生きていけると信じる。




 空しいのは、若い人の自殺が増えてみえる。

 それに同調している、社会の人が多いのではないか。

 精神障がいに興味があって、関わっているのですが、

 人の性格のような気がする、「うまれ」のようなもの。





 他人の死より、身内の死に関して社会面をにぎわしている。

 ひとり暮らしが増えている社会だから、身内のことで悩まされないで

 自分で判断すればいいのを、互いに頼ってしまい結論を延ばす。

 ひとり一人、巣立ちすればよいのに年金や住まいの家を当てにしてしまう。

 



 人が成長するうえで、これほど自分の意志を固めなかった

 社会人がいる、時代はなかったのではないか。

 その意味で、政府が戦争に向かっているというのは、

 それなりの理由があるような気がする、愚かなのは愚かなりに。

 



 尊厳死

 貴重な時間を頂いて、お話を聞かせていただいた。

 エンカウンターの世界へ入りこもうとしているとき、
 
 死に関する自説を展開されて、楽しく聞かせていただいた。

 このワークに参加する方が、非常に少ないこと。

 先ほどと同様、「死」について私には「関係がないこと」と

 遮断してしまう方が多いのだろう。

 これほど地震・津波・原発・悪政に悩まされていても、

 死は遠い世界だと思い込んでしまう、おめでたい人種だ。





 家族の死、死生観、自分の一生など自己開示する機会が、

 与えられそうな雰囲気が醸し出されていた。

 古い年代にとって、難しい領域で関わりたくない意識が強いのだろうか。

 意見を求められているように感じ、言いたいことを率直に告げる。





 庶民にとって、医学の知識が普及していない。

 これだけ医学が進歩したのに、受ける側の患者が知識を得ようとしていない。

 これは、医療従事者も教える努力をしていないのではないか。

 途上国と何ら変わらない、貧しい知識をもった患者を「今の医療業界」は

 求めているのではないか。

 戦後これだけ経っても、健全な人が進歩していない。





 平穏死

 誰にとっての平穏か、上から目線の「平穏」。

 声を出しての死は、疎ましいモノか。

 尊厳死

 誰が尊厳と認めるのか、大多数の人が考えるものが

 「尊いモノ」なのか。

 自分の死

 親の死を二回しか見た(?)ことがないモノが、

 恥ずかしいことか。

 自分以外の死から、どれほどの影響を受けて

 自分の死につながっていくのか。




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