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2016年11月10日07:20

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秋聲傳、了

 『徳田秋聲傳』野口冨士男を読了。
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 最後は秋聲の告別式の時の話である。
≪前々夜あたりから徳田家に泊りこんで睡眠が極度に不足していたからだろう、思考力もにぶつていたのか、正宗白鳥の弔辞をのぞいては、代読につぐ代読などまつたく上の空に聞き流していたが、それにはもう一つ理由もあつた。私の席からあまりへだたらない場所で、泣きづめに泣きつづけていた一人の女性の鳴咽に耳をうばわれていたからである。服装はよく覚えていない。たぶんセピア色の地味な洋装ではなかつたかと思うが、後でわかつた。その人は近松秋江の令嬢徳田道子であった。≫
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 そうか徳田道子が参列していたのかと思って、『光陰 亡父近松秋江断想』徳田道子に何かその時のことが書いてなかったろうかと繰ってみたら「燻銀のような徳田秋声先生」に出ている。≪先生は私の父の死より一年早い昭和十八年にご他界された。病身の父の代理で姉が告別式に参列した。姉は帰途一所懸命暗記して来たのか帰宅すると直ぐ父にどなたかの弔辞を報告し「ここのところで百合子泣いちゃったの」と、姉の脳裏には数年前の晩秋のたそがれ時秋声邸玄関の灯の下でお目にかかった先生のお顔がなつかしく思い出されたのではないか。≫と徳田道子は書いている。参列して泣いていたのは道子ではなく姉の百合子だった。
 野口冨士男は、その翌年に秋江が亡くなった時の新聞に≪文壇に特異な作風と政治好きで知られ、代表作に「天保政談水野越前守」「三国干渉の突来」などあり、≫と書かれたことを紹介して、≪「別れた妻に送る手紙」「黒髪」「子の愛の為に」などを、遺した人とは別人のように見えた。秋聲ももう一年生きていたら、何と書かれていたか想像のかぎりでない。≫と書いている。

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