すでに2週間が経過しましたが、倉吉の「打吹城跡」(うつぶきじょう)を散策しました。
「打吹山」の登城ルートを観光案内所で聞いてみると・・
「打吹公園」から右回りに山頂を目指す事にした。
一回りすると「倉吉歴史博物館」の裏側に降りる事が出来る。
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案内看板
↑(TOP左画像)
「大江神社」
明治天皇の曾祖父・光格天皇の生母で大江盤代君を祀った神社。
登城入口はこの奥になる。
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登城ルート
麓の山路は比較的整備されており、散策し易い。
イノシシ注意の看板を見た。
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トイレ休憩所
この辺りまで登ると急斜面の山道が続く。
↑(TOP右画像)
「展望台」
模擬櫓風に作られた2階建ての展望台。
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この展望台から倉吉市街地の赤瓦が一望できる。
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「備前丸跡地」
山頂の「本丸」防御の為、南条備前守が住んだ場所と言われている。
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散乱している石垣群
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「武者溜」
「本丸」の南下山ルート上に蛇行した山路を設けている。
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「本丸山頂」
ここは「打吹山頂公園」と呼ばれ、季節に応じた森林浴の憩いの場になっている。
山頂に大きな石碑を設けている。
・TOP右画像
「里見家の墓所」
里見の「八賢士」が後の「里見八犬伝」のモデルになっている。
「大岳院」で祀られている。
城歴を記すると・・
「打吹城」の築城年代は不明だが、延文年間(1356年〜1361年)に山名師義(伯耆国守護山名氏時の嫡男)によって築かれたと云わる。
戦国期には毛利の部将・吉川元春が入城した時期もあったが、天正10年(1582年)秀吉勢との和睦により、羽衣石城主・南条元続の持城となった。
関ヶ原合戦の後は米子城主の中村一忠の所領となる。
慶長19年(1614年)に里見忠義は安房国を没収され、ここ倉吉に配流となっている。
さて、ここは「打吹山」トレッキングコースとして山路を往復できるが、3キロコースなのでほど良い運動になった。
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