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2016年09月29日15:13

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台湾人とアルペンルートを行く

10日間、台湾人二人と日本の山を彷徨っていた。
これはその報告。


15日(水)

昼過ぎ、名古屋を出発。
中央線の普通列車を乗り継ぎ信濃大町へは日暮れごろに着いた。
予約してある旅館に行くと、台湾人二人がいた。
いっしょに「養老乃瀧」で夕食とお酒。

台湾人たちは9月1日に来日した。
今日まで他の人たちにサポートされたり、単独で行動したりして山登りをしていた。
八ヶ岳と後立山方面だ。

明日からは北アルプスを縦断する予定だ。

台湾人の一人は許さん。
許さんぞ、じゃなくて「許」という苗字の人だ。
公務員を早期退職して悠々自適な生活をしている。
日本語が少し喋れる。
昔はすごい登山家だったけど、いまは軽いハイキング専門だ。

もう一人は黄さん。
日本語はできないし、無口な人だ。
カメラが生きがいで、ちょっとした景色に立ち止まるので歩みが遅い。
だけど頑健で、重い荷物を背負って走るように山を登る。

この二人と10日間行動をともにするのだ。


16日(木)

天気は曇り。
大町駅からバスに乗る。
扇沢よりアルペンルートだ。
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トロリーバス、ロープウェイなどで室堂に到着。
わたしは雪のない時期に来たのは初めてだ。
緑豊かな立山の風景が珍しい。
ちょっと歩いて雷鳥沢へ。
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許さんは山小屋・ロッジ立山へチェックイン。
一泊二食のお金持ち登山だ。

わたしと黄さんはお金がないので雷鳥沢でテント泊。
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夜は立山を眺めながら、3人でのんびりと酒を飲む。


17日(金)

7時30分出発。

ますます雲行きが怪しい。
室堂を過ぎて立山三山の一つ浄土山(2831m)の斜面を登る。
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山頂から稜線沿いに竜王山を越えてザラ峠に到着。
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わたしはザラ峠に来るのは初めてだ。
佐々成政が「さらさら越え」で通った歴史的な峠だ。
1584年の厳冬期、富山から大町まで北アルプスを抜けて、浜松の徳川家康のところに行った。
大河ドラマでも何度か出てきた有名な事件だ。
こんなところを12月に登るなんて、さすが戦国武将だ。

ザラ峠から斜面を登ると平坦な高原に出る。
五色ヶ原だ。
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すぐに五色ヶ原山荘に到着。
許さんは山小屋、わたしは歩いて10分のテント場へ。
黄さんは風景写真撮影のため、かなり遅れている。

テントを張っていると雨が降ってきた。
かなりの土砂降りだ。
あわてて設営して、テントの中で服を乾かしていた。

黄さんがやってきた。
「わたしは山小屋に泊まることにしました」

ということで、朝まで雨の中を一人耐え忍んだ。


18日(土)

テントを撤収して山小屋へ行く。
あいかわらず天気が悪い。

小屋番の人に台風情報などを聞く。
これからますます悪天になるから先に行くのは諦めろ、と言われる。

たしかに天気予報は今日から一週間、ずっと大雨だ。

ここで北アルプス縦断計画は中止にした。
予定では黒部五郎を越えて新穂高温泉に下りるつもりだった。
でも強行したら死ぬかもしれない。
台湾人たちには申し訳ないけど、室堂へ戻ることにする。

昨日来た道を戻る。
雨の中、けっこう厳しい登りが続いた。

雷鳥沢の手前、みくりが池温泉でわたしと許さんは宿泊。
黄さんはテント泊だ。

みくりが池温泉は立派な山小屋、というかホテルのようなところだった。
温泉も入り放題。
食事も、夕食は富山湾の新鮮なお刺身や陶板焼き。
朝食は豪華バイキングだった。
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予定がめちゃくちゃになったので、明日からどうしようか検討しながら酒を飲む。

19日(日)

アルペンルートを富山方面へ下りる。
立山鉄道から富山駅へ。

「特急しらさぎ」に乗り、米原で乗り換え滋賀県・大津に着いた。

Mさんが車で迎えに来てくれていた。
わたしと台湾人と共通の知り合いだ。

Mさんの自宅へ行く。
今夜はここに泊めてもらうことになった。
部屋を一つ開放してもらい、荷物を下ろす。

突然の訪問だけどMさんも、奥さんも歓迎してくれた。


20日(月)

台風が関西に最接近してきた。
終日Mさんの家で過ごす。
コインランドリーや買い物をする。

Mさんの畑も案内してもらった。
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もともと彼は予備校の講師をしていた。
でも人に使われるのが嫌だった。

そこで農業を始めた。
家庭菜園とかそういうのが趣味だったからだ。

日本中どこでも農地は余っている。
農業人口が減っているからだ。
耕されなくなった田畑を地主さんから借りて野菜を栽培する。
たくさんの種類を少しずつ作って、地元のスーパーに並べてもらう。
いまはナスとキュウリ、少し前まではトマトが旬だったそうだ。
常に新鮮な野菜を出すために、種付けも同じ種類を5日間おきに撒いたりして工夫をしている。
そのほか草取りをしたり、天気次第で畑をメンテナンスしたり、農業はけっこう忙しいそうだ。

3つのスーパーと契約しているけど、収入は予備校講師のときよりも多い。
子供が3人いて、二人が大学生だけどなんとか授業料を払っていけるほどだという。

こんな農業ができるのは、大津市という微妙な場所だからだろうなあ。
もっと都会だったら農地なんてない。
田舎の方だったらスーパーがない。


「忙しいけどストレスはありませんよ。まかみしさんも農業やったらどうですか?」

たしかに羨ましい生活だ。

夜は大津市内のラーメン屋で酒を飲む。



ということで、長くなってきたのでこの続きはまた明日書く。


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