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2016年08月27日00:38

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大植さん、来年も会えますよね・・・大フィル定期

昨日終わった時には、もうお会いすることはないだろう、と思っていました。

大阪 フェスティバルホール
大フィル第501回定期演奏会(8/25、26 二日公演)
大植英次指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
小倉朗:管弦楽のための舞踊組曲
ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)
(コンサートマスター チェ・ムンス)

木曜日、金曜日の二日公演。普通に勤務していたら、連続ではなかなか来れないスケジュール(少なくとも、ぐすたふくんにとっては)。だから、ここまで取らずにおいた夏休み、今週水曜日から組んでの準備万端。満を持して参加であります。ぐすたふくん、今年度の大フィルの定期は、大植さんが振るこの二回のみなんですよね、予定としては。

当たり前だけど、わくわく感はマックス。胸高鳴らせてやってきたフェスティバルホール。一日目は二階席最前列、二日目は平土間前よりのサイド席。場所も変えて、響きも変えて、大植さんの指揮姿のビューも変えて、と。サインをもらうブル9のスコアも用意し、聴衆・ファンとしては、完璧、と思っていたんだけど・・・・

正直言って、昨日の演奏を聴いた後の感想は、以下のごとく。

「大植さん、そこまでして、このオケを振る必要なんかないですよ・・・・哀しいから、もうやめてくださいよ。そんなことより、もっとあなたにとっていいことを探してください。そして、それをまた見せてください。その果実を聴かせてください。それまで待ちます。少々時間がかかってもいいですから・・・」

おそらく、大植さんが今回ブル9を選んだのは、500回定期がちょうど7月になった、そこは現常任のテリトリー。じゃあ501回定期を8月にするのはありだよね。バーンスタインの誕生日に合わすことができる。最初にやったブル9は朝比奈さんの誕生日、二回目にやったブル9は東京公演に持っていく成果、それじゃあ3回目はレニーの誕生日にしよう。だから、版はあえて朝比奈さんのハース原典版(追記:厳密にはオーレル版という方が正しい、らしい)ではなく、ノヴァーク版でいこう。レニーが愛した唯一といっていいブルックナーの交響曲。それを持ち曲とするオケを振って、記念の年に、亡き師匠と、亡き巨匠と、奏者と、愛する聴衆とともに、高みに上ろう・・・そんなところじゃなかったか。

でも、そんな気持ちにかかわらず、大フィルの演奏は空回り。明らかに、指揮を置いてきぼりにして、オケが先に行ってしまうところ多数。挙句の果てには、アンサンブルが破綻寸前にすら至る(第1楽章の展開部が一番危なかった、たぶん)。極めつけは、僕が大好きで、いつも胸を震わせる3楽章、練習番号Lからのストリングセクションだけの下降音型、それが昨日いったいどんな音だったのか、思い出すことができない。「記憶がない」!!この僕が!!!

正直、ぐすたふくんはコンマスのチェさんにも腹を立てていた。田野倉さんだったら、もうちょっと大植さんに献身的に尽くしてくれたんじゃないだろうか。去年のマラ3、田野倉さんは必死だった。思うようには行かなかった1日目においても、田野倉さんは必死だった。チェさんは、醒めているように見えた(失礼かもしれないが)。やっぱり、新日から道義さんが連れてきたコンマス、大植さんに対してはこんなもんなのか。所詮、人間なんてそんなものなのか。やりきれない思いすらした。

7割程度の入りの客席からは、一応ブラボーは飛んだけれど、大植さんのカーテンコールは明らかに短かった。指揮台に上ってオケの起立を促す大植さんに、拍手を送って立たないオケのメンバーという光景もなかった。何もかもがぎくしゃくしていた。少なくとも、僕にはそう見えた。

ただ救いがあるとするなら、1曲目の邦人作品が素敵な演奏だったことだった。大フィルには、洒落て垢抜けた近現代作品より、こういう泥臭い20世紀邦人曲がよく似合う。大栗裕を擁していた、朝比奈時代からの伝統をそこに聴くことができる。「大阪」の音、独特の湿気を帯びた「暑い」音。そしてそれを最大限効果的に鳴らすことができる、大植英次の「熱い」指揮との相性の良さ。

今日もまた、1曲目の演奏は素敵な聴きもの。昨日、やや危なかった4楽章のポリリズムの錯綜は、今日はかなりこなれて見事。スリリングな掛け合いから熱狂にまで昇華した音楽は、最後に大きな花火を打ち上げて終わる。こんな佳曲を知らずに過ごしてきたことを後悔し、また聴きたいと切に思わせるような、優れた演奏。

そんな演奏から、これはやはり、去年と同じく、二日目が豹変するという結果になるのか、との予感は・・・・やはり的中でしたね。

今日のブル9の時間のなんと濃密で長かったことだろう!!実際には、自分の時計で確認して60−65分程度で、決して長い演奏ではないのだが、ただ、内容の濃さが時間の流れをゆっくりに感じさせる。まるで、質量が大きな重力場においては、時間の流れがゆっくりになるという、あの相対性理論が如くに。

もっともアンサンブルの危うさはやっぱり結構あって、特に2楽章冒頭など、昨日の演奏を彷彿とさせるような、あちゃちゃあ、を聴くことができたのも確か。でも、内容と内的緊張があれば、そんなことは些細なこととして気にならなくなるんですよ。今日は、チェさんの熱演も半端ない。大きく体をゆすって、渾身のボウイングが濃厚な時空間を切り裂いていく。

そんなオケを前に、ブル9冒頭の最弱音から最後の沈黙まで、大植英次の棒が首尾一貫・起承転結の弧を描くとき、音楽の神の衣服の襞がはためき、その芳香が肌をなでる。

1楽章と2楽章の間の長いインターバルといい、3楽章終結からの長い長い沈黙といい、今日のブル9の音楽の緊張は相当なものだったと思います。大植さんが振り返るとともに轟然として沸き起こる拍手は、あの「大阪の」温かい温かい拍手。今日は十分な時間をとって、大植さんはその歓呼に応える。

僕は思う。大植さん、あなたはやっぱり素晴らしい指揮者です。また、あなたの音楽が聴きたい。心からそう願います。

前言撤回です。やっぱり、来年もここに来てください。

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