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2016年08月15日05:00

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本場、兵馬俑ツアー

西安という都市は、どこか懐かしくどこか古臭く
純朴で馴染み易い町だった。
本当はそこから西にあるウルムチという西涼ウイグル地区の中心都市に向かい、
さらに敦煌行きのバスに乗って莫高窟を目指したかったのだが
「空路で行くならともかく、陸路で行くのはのんびりしすぎじゃない?」
と西安まで同行していた日本人旅行者の堀木さんに指摘されて
ハッと我に返った。
出発したのが8月も半ばだったというのもあるが
すでに9月を迎えて秋の気配を感じてもいたが
帰りの手段も含めて
そもそも日本にいつ戻るのか、
大学の授業が再開する9月半ばまでに戻れるのか、など
様々な現実問題を放置していたからである。

堀木さんと別れ、翌日には上海に旅立つ京大コンビと3人だけになったこの日
僕たちは早朝出発の兵馬俑バスツアーに参加していた。
大体、駅前で当日募集のバスツアーなんて
質が高々知れているというもの。
バスガイドのお姉さんもプロなのかアマチュアなのか判別もつかない胡散臭さで
日本語はもちろん、英語も殆ど通じない。
不便極まりない関係だった。

兵馬俑の現地に着くまでに
食事休憩だの、トイレ休憩だのをちょいちょい挟んでくるのであるが
一向に到着しないのである。
それもそのはず、頼んでもいない土産物屋であったり
商業施設にちょいちょい立ち寄っては
「そこで買い物をして!」
と我々を解き放つのである。
よく分からないが、同じく参加している中国人客は
無邪気に買い物をして、まだ目的地に着いていないのに
抱えきれないほどの大量のお土産を車内に持ち込んでくる。

「いつになったら、兵馬俑につくんだ?これは兵馬俑ツアーだよな?」
と再三、バスガイドに詰め寄るのであるが
惚けているのかうろたえているのかも分からないほど
早口で色々と捲くし立てるのである。
「どうして貴方達は素直に着いて来れないの??」
と言われているような気がして、僕は余計にむかついて
「真っ直ぐ、兵馬俑に行け!」
と何度も詰め寄ったのであるが、このツアーは実に無駄に
お土産屋に立ち寄るのである。

兵馬俑に着いたのは昼を過ぎていた。
西安の中心部から40キロほどしか離れていないのである。
半日もかけて行くようなバスツアーじゃないだろ?と
僕は詰め寄ったのである。

現在はさらに施設は整っているはずであるが
95年頃の兵馬俑でも息を呑むほどに壮大で
沢山の「俑」が並ぶ発掘現場には、すっぽりと体育館が被さっているような
構造だった。体育館といっても普通のサイズじゃない。
一万人くらいの観客がスタンドから観戦出来るような空間のある、
大きな体育館である。

等身大よりも一回りほど大きいサイズの人間や
副葬物が陶器として埋められているのである。
場内では一部を除いて撮影禁止であった。
まぁ、そりゃそうだろう。
秦の始皇帝の副葬品らしいが、彼の存命中に作ったかどうかは定かではない。
秦の存続した時代は紀元前770年から紀元前206年とされ
紀元前221年に中国初の統一王朝となった事で知られている。
それから僅か20年後の紀元前202年に
中国二番目の統一王朝である「漢」の時代がやってくるのである。
あの「項羽と劉邦」の劉邦が初代皇帝の「漢」である。

現在の中国が英語で「China」と呼ばれているのは
この最初の統一王朝の「秦」が語源だといわれている。
中国語での発音記号ではQin(チン)だが、
これがインドやヨーロッパに伝わるときにChineと訛り
Chinaとなったのである。
この次の王朝の「漢」が「漢民族」の「漢」であり
「漢字」の「漢」であることを考えると
同じく偉大な王朝があった痕跡であると言えようか。

この遺構が発見されたのが1970年代であるといわれていて
ほぼ2200年もの間、眠り続けていたことも
信じがたいスケールである。
わずか20年で統一王朝の秦は滅んだので

その皇帝の墓の副葬物が目の前にズラーッと並んでいるのかと思うと
胸が熱くなるのが感じられた。
中国人は偉い、いや凄い。
中国の初代統一王朝の墓を暴いて
観光資源にしているのだけれども
その真似は日本人にはまだ、出来ない。

徐々に中国史ロマンが掻き立てられていくのが
自分でも分かったが、そこですっかり心に張り詰めていたものが
ぷっつりと切れた気がした。

バスに戻ったとき、誇らしげに
「どうだった?ちゃんと行ったでしょ?」って顔をして
どや顔で言われたときの腹立たしさも同じく忘れられない。(笑)
彼女とは筆談を交えて闘ったわけだが
聞き取れるものも聞き取れない早口で捲くし立てるので
「何言っているのか、分からないんや!」
とこちらも激しく応戦したのである。
周りの客はにやにやして見ているばかり。
最後は握手をして分かれたが、トイレひとつ確認するのに
何分も言い合いをするのだから疲れてしまう。
チケット付きで300元、と結構高かったが
今考えると「人民料金」で観光していたのだから
そこそこ安価で楽しめていたのかもしれない。
そう思う。

夕方、西安駅前に着くと、そこそこ高級な料理店に入り
京大コンビとの最後の晩餐を楽しんだ。
「もう、疲れたよね」
お互いに顔を見合わせて、久しぶりの中華料理らしい中華料理を楽しんだわけである。

実は、堀木さんとの別れの晩餐も高級中華を食べたが
その後は、ウイグル料理だったり、イスラム料理だったり
ケンタッキーだったり適当に物珍しいものばかりを食べていたからである。

実は、ここからが僕の真の一人旅になるわけである。
「人民料金」についても、続きで。


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