7月29日(金)
両神山から下山した。
小鹿野町の中心街へ下る。
そこからまた少し別の県道を登る。
紫雲山地蔵寺に到着した。
ここは水子供養で有名なお寺だ。
どうして有名かというと、その水子地蔵の数の多さ。
現在約17800体のお地蔵さんがいる。
県道沿いにお寺の本堂がある。
道路の両側は山の斜面になっている。
その両斜面に、幾列にも並んだ水子地蔵が建っている。
地蔵さんの高さはおよそ50センチぐらい。
穏やかなお顔の石のお地蔵さんたちだ。
台座には依頼した人の住所、名前、日付などが彫ってある。
お地蔵さんの前にはそれぞれ風車が差してある。
山の中に突然現れる水子地蔵群。
見渡すかぎりの石仏風景。
これを見て、わたしはアートだと思った。
まさしくアウトサイダーアートだ。
水子地蔵はまだ増殖している。
開発予定地は、まだかなり空いている。
お地蔵さんを建ててもらうのには一体30万円だそうだ。
ちょっと本堂を覗いたら、ちょうど住職さんが問い合わせの電話に出ていた。
わたしも一つ頼もうかなあ。
いまのところ水子を流したことはないけど。
車を走らせ、秩父市へ行く。
秩父地方の中心街だ。
「珍石館」というところへ行った。
蔵のような建物だった。
入り口の鍵が閉まっていた。
となりの蕎麦屋さんに入って尋ねた。
珍石館は、この蕎麦屋さんの所有だった。
ご主人が入口を開けてくれる。
中には珍しい石のコレクションが展示してあった。
なにがどう珍しいか説明する。
展覧会でよく見かける山や玉の形をした石も、少しあった。
でもメインは人間の顔のような石だ。
直径10〜15センチぐらいの丸い石が多い。
どれも石の表面に人間の顔らしきものが浮かんでいる。
それがずらりと何百個も陳列してある。
これを集めたのは、先代の蕎麦屋のご主人だそうだ。
今はもう亡くなって、娘さんとその夫が後を継いでいる。
珍石館の方も大事にご夫婦で管理している。
娘さんといっても、もう還暦を過ぎている人だ。
あとからその娘さんが来て、詳しく説明してくれた。
なんでも秩父の山の中を50年以上も探し歩き、人面石だけを集めたそうだ。
ここに展示してある以外にも、たくさんの段ボールにぎっしり詰めてある。
全部でいくつあるのかわからないとのことだ。
一つずつの人面石をじっくり鑑賞する。
シュミラクラ現象といって、逆三角形のボツボツを見ると、脳は人の顔だと認知してしまう。
この人面石の集合はシュミラクラ芸術だ。
なかには石の下に名札があって、その人面石によく似た有名人などの名前が書いてある。これは訪れた人が、石に名前をつけたのだそうだ。
娘さんに「誰かによく似た石はありましたか?」と聞かれた。
そういえば、カモノハシにそっくりな石があった。
まだ名前がついてない。
名札に記名して、わたしがこの人面石の命名者になった。
石と一緒に記念写真をとってくれた。
他にもくりーむしちゅーの有田にそっくりのがあった。
けど、二つも命名しては図々しいから遠慮した。
こんど行ったら、そいつに名前をつけよう。
たまにはメジャーな観光地にも行くことにする。
秩父神社だ。
徳川家が寄進した本殿は、さすが日光陽明門と並ぶ派手やかさだ。
ちゃんと左甚五郎の作品もある。
有名な「つなぎの龍」だ。
日光の「見猿言わ猿聞か猿」のポジバージョンである「見ろ、言え、聞け猿」が見られてよかった。
秩父神社を参拝して、門前の商店街を歩いていた。
ステキな建物の食堂を発見した。
パリー食堂という名前だ。
文化庁の登録登録文化財の銘板が壁にかけてある。
昭和初期のカフェだった建物だそうだ。
思わず中に入った。
店内は懐かしい感じの食堂だった。
親子丼を注文する。
無愛想な親父が丼を作ってくれた。
そのあとスーパー銭湯・星音の湯で入浴。
国道299号線を走り、長野県へ向かった。
それにしても秩父というのは面白いところだった。
東京から1000円ぐらいで、1時間半ぐらいで行けるのに、独特な田舎文化を感じる。
また近くの山に登ったときに探索してみよう。
つづく
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